多文化クロストーク
母国で日本語を教えていた人たちー第2回 日本語を教えるということー

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第2回 日本語を教えるということ
それぞれの国で、日本語を教えてきた3人。今回は各国での日本語教育や、教師としての経験、苦労ややりがいについて話を聞きました。
どんな学校で日本語を教えていましたか?

高校と大学で教えていました。高校生でも、日本語を習い始めてから2~3年経っている生徒もいて、レベルはまちまちでした。生徒数は1クラスあたり25人くらいです。
大学は1年生と3年生の授業を1コマずつ担当しました。1年生は「みんなの日本語」を使った基礎の授業で、3年生の授業は日本文学も扱っていました。日本人の先生と交代で教えていました。
大学では20人くらいの生徒に教えていました。難しく感じたのは、生徒によってモチベーションに差があることですね。あまりにやる気がない子には、「なんで日本語を選んだの?」と思うこともありましたが、自分も出願直前で選んだので、人のことは言えないです(笑)。
その後首都のキーウに引っ越してからは、語学学校で個別指導を担当していました。ここは勉強したい意欲のある生徒ばかりだったので、やりやすかったです。
私は高校で教えていました。1年生が文字、2年生が自己紹介、3年生が基本会話という内容です。勉強したい子、したくない子、色々でしたが、みんなに授業に参加してほしかったので、成績などで席を分けることはせず、自由に座ってもらいました。そして全員でゲームをしたりして、勉強したくない子も参加しやすい授業を考えました。3年生に対しては、進路指導のようなこともしていました。
どのように日本語を教えていましたか?

学校側がカリキュラムや年間のスケジュールをつくり、それに沿って教えていました。授業準備のほか、会議への出席、生徒の評価など、教える以外にも色々仕事があります。私は全部で3つの学校で教えましたが、教える内容や、授業の頻度などは学校によって結構違いましたね。
他の外国語は国が決めたカリキュラムがありましたが、日本語は学校で新しく導入した言語だったので、先輩の日本語教員がカリキュラムを作っていました。その内容に沿って授業を進めました。
ニサーさんと同じように、会議もありましたし、日本関連の行事、日本語弁論大会の準備などもしました。クラス全員に対して、放課後別に時間を取って指導したりもしていました。
マリアさんと同じで、私の大学も日本語を導入したばかりでカリキュラムがなく、自分で作りました。遅れが出ても自分で調整できるのでその点は楽でした。ただ週5出勤で、1コマあたり1時間20分の授業が、1日3、4コマがありました。忙しいので、授業の準備は家でしていました。
キーウの語学学校では、1日4コマくらいの個別指導を担当していました。これは大学のグループ授業より大変でした。年齢も日本語レベルも幅広いので進めるべきカリキュラムがないですし、生徒のペースに合わせて柔軟に進めていました。
教えていた生徒はどんな雰囲気でしたか?
勉強にすごく真面目という生徒は少なかったです。みんな楽しく勉強したいと思っています。先生が喋って、生徒は黙々とノートをとって、という授業形式は嫌う子が多いです。だからゲームやクイズのような形式で授業をしていました。
高校はとても真面目な子と、そうでもない子に分かれていました。みんなとてもかわいくて、自由で、高校生らしい雰囲気でしたが、勉強を教えるのはちょっと難しかったです。クラスによっては、授業中に音楽を流されたり、トランプが飛んできたこともありました。
生徒の性格によって雰囲気は違いますよね。
あと、日本に来て思ったんですが、日本人は話をすごく真面目に聞いて、授業中にあまり質問をしないですよね。私は話の途中で質問してくれるとすごく嬉しいんですが。ウクライナでは授業中に質問が飛び交います。
私も同じことを思います。タイ語を日本人に教えたとき、困った顔をしているのに途中では何の質問も出なくて、最後に「さっきのことなんですが…」と聞かれたりしました。でももうそのときには私も自分が何を言ったか忘れていたりします。
ブルガリアの生徒たちにも、よく途中で質問されました。私も、聞きたいことはその場で聞いてほしいです。
日本語教師になって、つらかったことはありますか。

日本語を教えること自体をつらいと思ったことはないです。私が楽しくないと、生徒にも楽しく勉強してもらえないですし。
でも、会議などで授業の準備などが中断するのはちょっと嫌でした。教えることに集中したかったです。
教える以外の仕事は私もあまり好きではなかったです。特に悩んだのが評価です。私のいた大学では、評価Dだと再試験、失敗したら退学です。それを考えると、成績が悪い生徒にも、なかなかDをつけられなかったです。
評価は本当に難しいですよね。わたしもよく困っていました。
あと私は、まだ教師として経験が浅いとき、保護者会で保護者から「クラスの雰囲気が悪いと聞きました。この先生のどこがいいんですか?」と言われたことが、かなりショックでした。そのときは授業中にいたずらする生徒などもいたんですが、私はまだ慣れていなかったので厳しく注意できず、授業に集中させることが難しい時期でした。でもそれをきっかけにその後少しずつクラスの雰囲気が変わり、問題は解消されていきました。
日本語教師になってよかったと思うことを教えてください

一番よかったと思うのは、やはり生徒と会えたことです。学校を辞めるとき、生徒たち全員が「辞めないで」と言ってくれました。自分も生徒たちと一緒にいたかったですが、将来のために辞める必要があり、苦しかったです。今も連絡を取っていますが、「先生がいて嬉しい」「先生、今日は何勉強しようか」と言ってくれた笑顔を思い出すと、また会いたいな、いつか戻れるかなと思います。
私も同じように感じます。最初は授業に集中してもらえず、教師に向いていないと感じる時期もありました。でも教えることで生徒に少しずつ影響を与えていくことは、怖いけれど嬉しいことでもありました。辞めるとき、生徒にどう話すかはすごく迷いました。最初に担当していたクラスは「先生辞めないで」と言ってくれて、本当に嬉しかったです。私も今でも生徒と関係が続いています。
生徒が日本語を好きになってくれると嬉しいですよね。私の生徒の一人は、日本に留学して、今日本語を教えています。
私も、やっぱりよかったのは生徒と会えたことです。キーウで教えていた生徒の一人は、今日本にいて、よく会います。生徒との絆は大事ですし、あとは、外国語を学んだことで視野が広がったし、色々な人の気持ちがもっと深く理解できるようになった感覚がありました。
教師経験者ならではの、学校や生徒についての思い出話が弾んだ第2回でした。
3回目は「日本語教師経験者として、日本に住むこと」をテーマに、話を聞きます。
── 次号へ続く