多文化クロストーク
母国で日本語を教えていた人たちー第1回 日本語教師になったきっかけー

3人のプロフィール
ニサー(タイ出身)
- 在住年数
- 1年
- 母語
- タイ語
- 好きな日本語
- 諦めないで
- 東京で好きな場所
- 駒込
- 好きな食べ物
- 豚汁
- 趣味
- ガーデニング
- 子どものときになりたかった職業
- 特にありませんが、人の役に立ちたかったです。
オルガ(ウクライナ出身)
- 在住年数
- 3年
- 母語
- ロシア語、ウクライナ語
- 好きな日本語
- りんご
- 東京で好きな場所
- 上野駅周辺
- 好きな食べ物
- おいしいサラダとおいしいパン
- 趣味
- 色々な意味で勉強すること。面白いことを知ること
- 子どものときになりたかった職業
- 医者
マリア(ブルガリア出身)
- 在住年数
- 5年半
- 母語
- ブルガリア語
- 好きな日本語
- おかえり(なさい)
- 東京で好きな場所
- 水道橋~四ツ谷の間の川沿い、東京駅~銀座、目黒~渋谷の散歩コース。井の頭公園などは永遠に歩き回れると思います。
- 好きな食べ物
- おそば、焼き鳥、お寿司
- 趣味
- お散歩、ピラティス
- 子どものときになりたかった職業
- 医者・歯医者
第1回 日本語教師になったきっかけ
「母国で日本語を教えていた人たち」の座談会を3回シリーズでお届けします。
日本で日本人教師が英語を教えるように、世界には日本語を教える外国人教師がたくさんいます。第1回では、3人が日本語教師という職業を選んだ理由と背景について話を聞きます。
日本語に興味を持ち、勉強を始めたきっかけを教えてください。

私は珍しいものが好きなんです。高校生のころ、母国のウクライナから遠いアジア圏、特に日本と中国の文化に惹かれました。日本の文化で特に好きだったのは映画ですね。黒澤明、北野武の映画を観て、そこに映る日本の文化がとても面白いと思いました。日本語を学び始めたのは、大学に入ってからです。
私は、最初は外国語に興味がありました。南米の文化が好きだったので、大学ではポルトガル語を学ぼうと思っていました。でも出願書類を出すときに、知り合いから「ポルトガルは近いからいつでも行ける。もっと遠い国のことを勉強したら?」と勧められたんです。父が研修で日本に来たときに買って帰ったお土産が家にあったのを思い出して少し親近感が湧いて、それで書類を出すときに「日本語」と決めました。
私も同じです!日本語か中国語か迷って、書類を出すときに決めました。
私はK-POPが好きで、高校では韓国語を勉強していたんです。大学も韓国語専攻で希望を出しましたが、友達から「第一希望だけで落ちたら大学に入学できないよ」と言われました。それで、仕方なく2番目に日本語、3番目に中国語を志望しました。それで合格したのが日本語専攻でした。
入学のときに選んだ、というのが3人とも似ていますね。
本当ですね。
日本語は第一志望ではなかったので、合格したときは「嫌だ、大学行きたくない」と正直思いました(笑)。でも「語学を勉強したいなら、きっと近い部分はあるよ」と家族に言われて、日本語を始めることに決めました。
日本語、最初は本当に何も読めなかったんですよ。他の学生はある程度読めるのに、辛かったです。でも在学中に2か月間日本に留学したりして、そこから本当に日本が好きだと思えるようになりました。
私も何も知識がない状態で入って、最初の授業で、ひらがな・カタカナ・漢字があると知って、「無理、1週間でやめる」と思いました(笑)。でも先生も同級生もすごくいい人たちだったので、続けられました。
私も日本語は大学でゼロからでした。先生がJICAのプログラムで来た人など、全員日本人だったんです。日本文化についても教わることができて、面白かったですし、日本が好きになりましたね。
母語と日本語はどんなところが違いますか。

違いはたくさんありますね。母語のブルガリア語はキリル文字1種類だけですが、日本語はひらがな、カタカナ、漢字に加えてローマ字も使います。共通しているところもありますが、違う部分が多いです。
あとストレートにものを言わないところも、最初は混乱しました。「お茶どうぞ」と言って、「大丈夫ですよ」と言われたら、お茶を飲むのかなと思います。でも実際は逆で、「いりません」という意味だったりします。
品詞の語順が一番大きな違いですね。日本語は「ごはんを食べる」という語順ですが、タイ語は英語と同じで「食べる、ごはん」の順番です。「同じ意味なのに、なんで同じ語順にしないの?」と混乱した時期もありました。
難しさでいったら、タイ語のほうが難しいと思います。タイ語の動詞には普段は使わない、書き言葉専用の難しい単語があります。その難しい単語は、ネイティブでも覚えていません。検索で調べます。
私は一番話しやすい言語はロシア語で、他にウクライナ語、英語、日本語を話します。それぞれ違いがあるので、あまり比べたりしません。ただ、ウクライナ語とロシア語を日本人に教えたときは、品詞の接続によって活用が変わるので、みなさんそこに混乱していましたね。
なぜ日本語教師になろうと思いましたか?

大学は教育学部だったので、卒業後は教師になるしかないと思っていました。
教育実習に行ったとき、自分が参加したクラスでは、勉強したい子、したくない子で教室の席が分かれていたんです。勉強したくない子は後ろにいて、先生は前の方の子にしか教えないし、質問しません。自分が大学のとき、日本語ができず、先生から質問で指されなかったことを思い出しました。教師になって、勉強をしたくない子にも楽しく教えたいと、そのとき強く思いました。
大学卒業後の進路は迷いました。日本語を生かした仕事を探していたところ、大学で日本語を教えていた先生が日本に行ってしまうということで、代理の募集が出たんです。教えることにはもともと興味があり、卒業後、教員の資格をとってすぐに教え始めました。
マリアさんと同じで、私も日本語を使う仕事がしたかったです。ただ私の街には、日本語を使う仕事があまりありませんでした。だから大学在学時から小学生に教えるボランティアをしたり、イベントに参加したりして、目立つように頑張りました。アピールが実って、卒業後、母校の大学の日本語教員として採用されました。
日本語教師になったとき、あなたの日本語のレベルはどれくらいでしたか?

JLPTでいうと、N4(初級)くらいだったと思います。私の最初の生徒は高校生だったので、教える内容が簡単だったんです。文字はひらがな、カタカナのみで、漢字は教えませんでした。言葉のレベルとしては、自己紹介と日常会話くらいです。
私は大学生のとき、1年間日本に留学しました。その後帰国して大学と高校で日本語を教え始めて、まだ自分の語学レベルが十分ではないと思いました。親が日本人という生徒もいて、日本語で質問されるとちょっと緊張しました。
大学で日本語教師の仕事を始めたときはN3くらいでした。1年間教えてからN2を受験しましたが、全然ダメでしたね。その後国際交流基金の研修で日本に留学後、ようやくN2に受かりました。
N3とN2の差ってすごいですよね。
本当に。どうやって勉強すればいいかわからないくらいです。
私もマリアさんが言っていたような、日本語力の高い生徒にいろいろ質問されて焦った経験があります。私もしばらく勉強してからN2に合格しましたが、それでも教えるのにはまだまだ語学力が足りなかったですね。
第1回は、それぞれ母国で日本語を教えてきた3人に、日本語教師になったきっかけを聞きました。
第2回では、「日本語を教えるということ」をテーマに、各国の日本語教育について詳しく聞きます。
── 次号へ続く