多文化クロストーク
介護職の外国人ー第1回 介護職との出会い、お国の介護事情ー

3人のプロフィール
アナ(ペルー出身)
- 在住年数
- 33年
- 母語
- スペイン語
- 好きな日本語
- お疲れさまです
- 東京で好きな場所
- 秋葉原
- 好きな食べ物
- 寿司とセビーチェ(ペルー料理)
- 趣味
- ペルー料理を作ったり、教えたりすること。服作りと手工芸
- 好きな季節
- 春:植物を育てるのが好きだから
アプリ(インドネシア出身)
- 在住年数
- 11年
- 母語
- インドネシア語
- 好きな日本語
- 情熱、友情
- 東京で好きな場所
- 二子玉川、浅草
- 好きな食べ物
- 刺身、寿司
- 趣味
- アウトドア全般
- 好きな季節
- 冬:スノーボードができる、オシャレができる
ザー(ミャンマー出身)
- 在住年数
- 6年
- 母語
- ミャンマー語
- 好きな日本語
- ありがとうございます
- 東京で好きな場所
- 葛西臨海水族園
- 好きな食べ物
- 枝豆
- 趣味
- ミャンマーの歌を聞くこと
- 好きな季節
- 春:ミャンマーにも桜によく似た花があり、1年に1回咲きます。
第1回 介護職との出会い、お国の介護事情
「介護職の外国人」の座談会を3回シリーズでお届けします。
介護職に就く在住外国人は、年々増えています。人手不足といわれているなかで、実際に介護職として忙しく働く三人に介護の仕事を始めたきっかけや、仕事の内容、仕事に対する思いなどを話していただきました。
皆さんの仕事を教えてください

介護の仕事は5年になります。介護施設で働いていますが、夜勤をすることもあります。利用者さんの希望に沿うようにサポートします。夜勤のときに大切なことは、薬のことです。名前と薬を間違えないように確認をして、各部屋に置いていきます。
介護の仕事をして11年目です。今は有料老人ホームに勤めています。アナさんと同じで夜勤もありますが、日中はレクリエーションの計画をしたり、イベント準備などで忙しいです。入居者さんに合わせて介助のお手伝いをしますが、元気な人もたくさんいます。ニーズに合わせて動くのですが、みなさんそれぞれにこだわりがあります。施設は今まで生活していた環境と違うため希望がすごく多いですけど、面白いです。ディズニーランドへ行ったり、音楽祭や相撲を見に行ったりもします。
介護の仕事は6年になり、特別養護老人ホーム(以下:特養)で働いています。利用者様一人ひとりの状況にあわせて介助しています。食事介助や排泄介助、入浴介助もありますし、夜勤もあります。特養なので、レクリエーションやイベントなどはあまりありません。
僕は特養や法人の介護施設などでも働いたことがあります。国や法人で運営しているところと、有料老人ホームは株式会社なので雰囲気が違います。例えば利用者さんの転倒で骨折したとなると、特養の場合は報告が大変です。有料老人ホームでは会社の中で処理をします。報告と今後の対策などをして、同じようなことが起こらないように会社の中に委員会があります。
特養は要介護3以上でないと入ることができません。わたしは寝たきりの人が多いと思ったのですが、そんなことはありませんでした。動ける人もいますし、寝たきりの人もいます。
わたしのところは、利用者さんの状態によって部屋の階が分かれていて、3階は認知症の人たちです。施設の中は自由に移動できるのですが、利用者さんが部屋にいないと探さなければならないので大変です。とても気を使います。
会社の中にはいろいろな委員会がありますが、僕はサブリーダーでもあるので教育係も任命されています。新しい職員が入ったら帯同して、仕事を教えたりします。レクリエーション委員会ではリーダーをしていますが、その中にチームがあって三~四人でします。役割分担をするので自分ひとりで抱えることはありません。クリスマス会のようなイベントは、入居者さんと一緒に飾り付けをしたりするので楽しいです。教育係は大変です。
居室担当をしていて、二人の方を担当しています。事故防止委員会にも参加しています。
僕のところではリスクマネージメント委員会と言っています。言い方が違っていますが、内容は同じだと思います。
お国でも介護の仕事はしていましたか

自分の国では事務職をしていました。介護の仕事は日本に来てからで、それまで考えたことがなかったです。
インドネシアでは、看護大学を卒業して看護師をしていました。2年間手術室を担当していたんですが、そのときに友達に誘われたEPA(経済連携協定)プログラムで日本に来て、介護士として働き始めました。
日本で初めて介護の仕事に就きました。ミャンマーでは准看護師として病院で働いたことがあります。介護の仕事がわたしに合うと思って、技能実習生として来ました。それが6年前です。3年間が過ぎて介護の特定技能に代わり、介護福祉士の資格をとったので介護ビザに変わりました。
15年ほど前に介護ヘルパー2級(現:介護職員初任者研修)の資格をとりましたが、その時はまだ自信がなかったので別の仕事をしていました。
介護の仕事をすることになったきっかけを教えてください

外国に行きたいと思って探していたら、介護の仕事で日本へ行くというのを見つけました。そのころミャンマーでは、そうした情報は少なかったです。わたしはやってみようと思って、最初に自分で日本語の勉強を始めました。友達から「いま介護の募集をしているよ」と誘われたので、面接を受けに行きました。そのころの日本語のレベルは、N3です。
もともと海外で働きたいという気持ちがありました。EPAプログラムを友達から教えてもらい、日本やドイツ、オーストラリアで看護師として働けることを知りました。日本以外は英語が必須でした。日本は看護師と介護福祉士の募集があって、募集している人数は介護の方が多かったです。ゼロからでも大丈夫だと言われました。介護のイメージはお年寄りの世話だったので、看護師とそんなに違わないだろうと思って、とにかく日本に行きたいから介護の仕事を選びました。
介護ヘルパーの資格は友達が教えてくれました。学校にはフィリピンとかいろいろな国の人がいました。卒業をすると仕事を紹介してくれるのですが、勤務地はほとんど東京でした。わたしは田舎に住んでいてとても遠かったため、介護の仕事はずっとしていなかったんです。埼玉県に引っ越ししてもお菓子工場などで働いていましたが、派遣の仕事なので短期のものが多かったです。仕事を探しているときに、介護の仕事がたくさんありました。せっかく資格を持っているので、そこで初めて介護の仕事をしたんです。してみたら介護の仕事を好きになりました。
最初は介護職のイメージがなく、やってみて介護の仕事はすごいと思ったんです。いろいろなことが学べますし、人生の先輩方と関わっていることにやりがいを感じるんです。介護は僕にとって天職だねと言われることがあります。毎日、入居者さんと楽しく過ごすだけでお金をもらえるのもすごく幸せです。仕事を終えるときは申し送りをして、一歩施設を出たら全部自分の時間です。仕事のストレスがありません。
仕事で日本に行くことを両親は不安に思っていました。ただ、介護の仕事はいい仕事だと応援してくれています。6年が過ぎましたが、毎日連絡があります。日本で一人暮らしをしていることを心配しているのだと思います。
お国の介護事情を教えてください

インドネシアに老人ホームがありますが、少ないです。家族が親の面倒を見るのが当たり前なので、親をどこかに預けるというのはお金持ちの人でもあまりないです。家で親の面倒を見るために、お手伝いさんを雇うということはあります。
ミャンマーには介護施設があまりないです。家族みんなで両親の面倒を見ます。子どものいない人や家族のいない人には施設があって、日本の特養のような施設です。お金も払わないでいいんです。仏教の国なので、お金持ちの人が寄付をしています。食べ物とか必要なものは寄付してくれます。そういう施設は少なくて、大きい街にあります。
インドネシアは日本のように長生きしないです。本当に難しい病気は治療をしないで、天国に行くのがいいと考えている人が多いです。日本でしたら看取りになります。宗教が強いので、これからも変わらないと思います。
ペルーは、家族が最後まで看ます。老人ホームには、家族のいない人が入ります。
日本は90歳以上で元気な人もたくさんいますね。ミャンマーは70歳ぐらいで子どもたちが面倒を見始めます。80歳になったら家族が全部やってくれます。日本に来たらみなさん全部自分でしているので、本当に驚きました。
自分の親の面倒を見るのは当たり前なんです。なぜなら今までもそうやって育ってきているので、今度は自分たちの番で親が亡くなるまで看るというのは変わらないと思います。インドネシアには、「天国は親の手の下にある」という言葉があります。
ミャンマーにも同じような意味の言葉があります。
ペルーもだいたい同じです。でも私は年をとったら、老人ホームに入りたいです。子どもには子どもの生活があります。子どもの邪魔をしたくないです。自分のいる場所を楽しい場所にする。施設にいる人たちも楽しんでいるんですよ。
1回目の「介護職の外国人」はいかがでしたか。
国では介護施設が少なく、日本で初めて介護の仕事を始めたという三人。最初は仕事内容がわからなかったり、不安を感じたりしていたようですが、仕事に慣れた今ではやりがいを感じ、大変な仕事も責任を持ち、楽しんで取り組んでいます。
2回目のテーマは、日本での介護職の生活です。楽しみにしていてください。
── 次号へ続く