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「日本と母国をつなぐ仕事・活動」についてー第3回 これからのことー

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第3回 これからのこと
「母国と日本をつなぐ仕事・活動」の座談会を3回シリーズでお届けしています。
今回は3回目で最終回となりました。今の仕事や活動のやりがいについて、また難しさについても話していただきました。三人は今後、どのようなプランをもって広げていこうとしているのでしょうか。
それぞれの活動の違いはあっても、とても前向きな話をしていただきました。
みなさんのやりがいを教えてください

外国ルーツの子どもにひらがなから教えているのですが、最初は鉛筆すら持てない、書きたがらない子どもが、何週間か経つと文字が書けるようになり、読めるようになります。子どもは単純で、スタンプやシールをあげるとモチベーションが上がるんですね。そして、自己肯定感も生まれます。そうした子どもたちの姿を見るのが、やりがいを感じる1つのポイントです。
もう1つは、小学校高学年や中学生になる時期に、自分の気持ちと闘いながら日本に来ている子どもがいます。接しているうちに、ここで頑張ろうかなと彼らが気持ちを切り替える瞬間に関われるのも、すごくやりがいを感じます。
YouTubeをやってよかったと思います。最初は日本に友達がいなくて、友達はみんなタイに住んでいるので、自分が寂しいからやっていました。でも時間が経つと、タイへ帰ったときに「見たよ!」とか「写真を撮ってもいいですか」「子どもが大きくなったね」などと声をかけてくれる人がいたり、オフ会*みたいなのもあって、みんなが見てくれていることを知ってうれしくなりました。
また、日本に住んでいるタイ出身の人から、「タイ料理を食べたいけど、日本の食材でどうやって作るの」という質問がくることもあります。簡単なタイ料理を紹介するため、日本のスーパーで材料を購入し、この野菜はタイの〇〇の野菜に近いですよ。とか説明をしながら料理を作ります。「あなたの動画を見てタイ料理を作りました。ありがとう」というメールをもらうと、すごくうれしいです。
*オフ会:オンラインのコミュニティで知り合った人々が、実際に顔を合わせる会のこと。
わたしもその動画を見て、ガパオの作り方を知りたいです!
やりがいはたくさんあります。ブルガリアの音楽を演奏するときは特徴なども説明もしますが、ビートを頭で理解するのだけではなく、感じてもらいたいと思っています。踊りが入ると音楽はもっと理解しやすくなると思います。演奏を聞いて、踊りたくなったり、音楽そのものを感じたりしてもらえたら、一番のやりがいだと思っています。
難しさを感じていることはありますか

わたしのことを好きな人もいれば、嫌いな人もいます。悪いコメントがきたら、やっぱり傷つきます。
そうですね、大変そうですよね。自分の考えを伝えても、また違う答えが返ってきたりするから難しいですよね。
たまにわたしが書いた文章を、タイの大きなメディアがシェアをすることがあります。知らない人がわたしのサイトを見にきて、悪いコメントをたくさん残すことがあります。わたしのことを知らない人だから嫌ですよね。
メディアはその前に、ユンさんに了解を取らなきゃダメですよね。僕も何回かありました。だから、ものによってはシェアはしないでくださいと言っています。
わたしが難しさを感じていることは、日本語を教える人は日本人と思われていることです。外国人が教えることに対して、抵抗感があるようです。大人に教えたいと思い、日本語学校に何度か応募したんですが、落とされます。その理由は日本人じゃないからです。「お金を払って日本語を学ぶ学習者は、ネイティブから日本語を教わりたいのでごめんなさい」と。
いま活動している横浜市の中でも、外国にルーツを持つ日本語講師はあまり見ません。中国出身の方は時々いらっしゃるんですが、見た目から外国出身の人はいないんです。わたしの名前はミシェリですが、日本名は普通に吉田恵子です。今年転勤になったんですが、日本語教師の吉田です。と挨拶に行くと驚かれます。「ALTの先生だと思った」と言われるように、英語の先生と見られてしまうんです。子どもにはそうした壁はありませんが、大人に教えられないという壁はいまだにあります。日本語教師として活動できる幅が狭まるところが難しさの一つです。
自分が考えるミュージシャンとは、プロとかセミプロで分けるのではなく、ミュージシャンかミュージシャンじゃないかです。自分の満足のためではなく、相手のプレイヤー同士のこと、お客様を満足させられることできる人がミュージシャンだと思います。人生をかけてそれをやっているんです。目の前に座っている人が楽しんでいるか、どうかです。
ライブにしてもコンサートにしても、音楽は一方通行のものではありません。お客さんからエネルギーが戻るんですよ。拍手のときとか、静かな中でもです。そのエネルギーは、ミュージシャンとお客様の会話ですね。それを感知するためにステージに立つんです。
続けてきてよかったと感じることはありますか

音楽を続けてきたからいろいろな人に出会えて、いろいろなことを経験して勉強になりました。日本の素晴らしいミュージシャンにもたくさん出会っています。新しい出会いがあると、『続けてきてよかったな』と感じます。さらに日本でブルガリアのミュージシャンと出会えれば、もっとうれしいです。
わたしもインフルエンサーを続けていてよかったと思っています。たとえば旅行へ行くときは自分で調べてここへ行こうと計画しますよね。インフルエンサーの仕事を通して、その場所の昔の歴史や見逃せないポイント、地元の人たちが知っているお店とか、新しいことを聞けるのはとても楽しいです。いろいろな人との出会いもあります。同じインフルエンサーの人たちと出会うのも、世界が広がりますね。
続けていくことで、世界が広がりますよね。
わたしも続けてきてよかったです。2年前は中学生に日本語を教えていたんですが、2年経って「○○の高校に受かりました」という報告を受けられるのも、続けてきたらからこそです。その子の人生の中で、いい影響を与えてくれたいい先生の一人になれたら、続けてきてよかったと思いますし、これからも続けていきたいです。
次の扉を開くために、先生はそのアプローチを作ることですね。
そうですね。扉を開けるのは生徒ですが、わたしはその後ろにいてアドバイスをする役割です。
生徒の成長を見るのはうれしいですね。
そこがいいところですね。わたしは日本語支援拠点施設といって、4週間だけ通う学校で教えていて、4週間過ぎると元の学校へ戻ってしまうんですね。事後支援で再度訪問すると、その後の成長の報告を聞くことができます。小学生から手紙をもらうこともあり、うれしいです。
学校でも外国ルーツの子どもにどう教えればいいのか、困っている先生がたくさんいます。私が行くことによって、アドバイスができます。子どものためだけではなく、学校の現場の先生にも影響を与えられているのかなって思うと、活動してきてよかったと思います。
今後どのように活動を広げていきたいですか

日本語を教えるだけでなく、若者支援をしていきたいと思っています。わたし自身が中学生のときに成績と不登校の問題があったので、学校の先生から高校に行けないって言われたんです。日本語を勉強する教室で相談をしたら、いろいろな方法を教えてくれました。外国ルーツの子どもたちの中には、高校や大学を諦める人がたくさんいます。もうちょっと頑張れば成績が伸びるとか、奨学金を借りられることとか、そういうことを教えてサポートしたいと思っています。大学進学に向けて一緒に勉強したり、日本語教師という今の仕事とクロスさせながらできることがきっとあると思っています。
インフルエンサーとして化粧品など自分のブランドをもったら?と言われることもありますが、それはしたくないんです。楽しいから続けているので、そこを大切にしたいです。日本の学校とタイの学校の違いを伝えたり、制服の値段とか、日々の生活の情報などを伝えて、欲張らずに自分が幸せを感じられる範囲でいいと思っています。夫が定年になったら、日本中を車で回って旅をしてYouTubeで発信したり、日本の旅が終わったらタイのわたしの村で、村中の子どものために英語や日本語を教えることをしたいです。お金のためではなく、自分のためにしたいです。
目標はブルガリアの音楽や歌や踊りを、みなさんに知ってもらうことですが、社会が変わってきて、どのように伝えていくのがいいのかを考えなければいけないと思っています。難しいですね。わたしたちも変わっていかなければいけない、と思っています。
「日本と母国をつなぐ仕事・活動」の座談会はいかがでしたか。
日本と母国をつなぐ仕事や活動をする中でさまざまな難しさは感じつつも、三人の方たちは続けてきてよかったと話しています。仕事や活動を通したいろいろな人たちとの出会いが、続けるモチベーションにもなっているようです。
このシリーズは今回で終了し、9月からは「地域の日本語教室、支援について話そう」をお届けします。