多文化クロストーク

「日本と母国をつなぐ仕事・活動」についてー第1回 日本との出会いについてー

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左からタイ出身のユンさん、ブラジル出身のミシェリさん、ブルガリア出身のダンチョさん。

3人のプロフィール

ユン(タイ出身)

在住年数
16年
母語
タイ語
好きな日本語
(なん) でもない」
東京で好きな場所
東京スカイツリー、東京タワー、新宿御苑
好きな食べ物
刺身、牛肉
趣味
写真撮影、映画を見ること、旅行
お国での仕事
海外買付 (かいつけ) () /ホテルエリアスタッフ管理

ミシェリ(ブラジル出身)

在住年数
17年
母語
ポルトガル語
好きな日本語
一念通天 (つうてん)
東京で好きな場所
上野公園
好きな食べ物
日本食は肉じゃが、ブラジル料理はフェイジョアダ
趣味
海外旅行
日本での仕事
日本語教師(小学生のサバイバル日本語)

ダンチョ(ブルガリア出身)

在住年数
17年
母語
ブルガリア語 
好きな日本語
「ありがとう」
東京で好きな場所
古い喫茶店
好きな食べ物
たくさんあります。
趣味
読書、映画を観る
お国での仕事
音楽の教師

 

第1回 日本との出会いについて

「母国と日本をつなぐ仕事・活動」を続ける三人の座談会を3回シリーズでお届けします。
日本に住みながら、さまざまな形で母国と日本をつなぐ仕事・活動をする三人。
どんな国から来たのか、どんなきっかけで日本を知ったのか、そして、どうして日本に来ることになったのか、今の仕事や活動を始めるまでのことをお聞きしました。

 

あなたの国について教えてください

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ユンさんの故郷は魚料理が有名ですが、「川の水がしょっぱいときと、しょっぱくないときがあります」と、ユンさん。
ユンさん

生まれたのはタイの首都であるバンコクから車で2時間くらいのチャ チューン サオ(Cha Cheong Sao)という場所です。大きな川があって、海につながります。魚が有名なところです。

ダンチョさん

ブルガリアのノヴァ ザゴラ(Nova Zagora)出身です。ブルガリアは山に囲まれたほぼ北海道と同じ大きさの国で、ダマスクローズというバラが有名です。

ミシェリさん

わたしはもともと母方の祖父が日本人で、父方がヨーロッパ系ブラジル人です。わたしは日系3世のブラジル人です。
ブラジルのパラナ州出身です。日系人の開拓者が多いところで、ブラジルの中でも日本人が2番目に集まっている地域です。ウルグアイに近く、ブラジルの中でも寒い方です。

ダンチョさん

どのくらい寒いんですか。

ミシェリさん

冬の気温は20度くらいです。普段30度、40度のところですから、20度は寒いです。日本は寒くて困ります。

ユンさん

タイのチェンマイは山の方なので涼しいですが、わたしの町は暑いです。子どものころより最近はもっと暑いです。

ダンチョさん

ブルガリアも気候はいろいろ変わり、冬は暖かくなっていると言われています。

日本を知ったきっかけを教えてください

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「日本に対する印象はアニメの影響が強くて、車が飛んでいるんじゃないかという期待が大きかったです。日本に来たら、『あれ、ブラジルと一緒だ』という印象でした」と、ミシェリさん。
ダンチョさん

日本を知ったのは、映画の『七人の侍』です。テレビでは『将軍』を見ました。子どもだったので、とくに日本の印象はなかったです。

ユンさん

マンガとアニメです。土曜日と日曜日の朝は、8時からテレビでドラえもんやドラゴンボール、セーラームーン、一休さんなどをやっていたので見ていました。

ミシェリさん

わたしは日本人の祖父と暮らしていたので、日本は当たり前のように身近にありました。
タイと同じで、ブラジルも毎朝7時から9時ごろまでドラゴンボール、ハム太郎、遊戯王をテレビでやっていました。ブラジル人の子どもたちは、日本というとこのアニメのイメージが強いと思います。

ダンチョさん

ブルガリアもそうです。電機メーカーのテクノロジーがすごいというイメージはありましたが、日本へ行きたいと思うようなつながりはないです。日本との縁が少ないですね。

ユンさん

子どものときは、ドラえもんののび太さんのお (うち) がたくさんあるかなと思っていました。大きくなったら日本の音楽や映画を見たりしたので、イメージが変わりました。すごいテクノロジーのある国だと思って日本に来たら、東京は本当にそのイメージのままでした。

ミシェリさん

わたしが想像していた日本は、新幹線しか走っていないような最先端のイメージでした。実際に成田空港に着いたときには、たくさん畑があって、『高いビルはどこ? 空飛ぶ車が飛んでいない…』という印象をもったことを今でも新鮮に覚えています。

Q. 日本に来たきっかけを教えてください。

ダンチョさん

故郷にいたとき友人から、わたしが教えていた楽器ガドゥルカを習いたいという日本人がいると言われたんです。わたしは英語が話せないし、日本語もできません。当時彼女はJICAにいてブルガリア語を話せたので教えることができました。その彼女と結婚したことで、日本に来ました。

ユンさん

日本人の夫と結婚して、日本に来ました。当時わたしはタイにある日本の会社で働いていたので、日本語を勉強したいと思っていたときに夫と出会いました。

ミシェリさん

わたしが1歳のときに母は日本に来ました。わたしは祖父とブラジルに住んでいたんですが、10歳のときに呼び寄せという形で日本に来ました。それまでに母とは3回しか会っていませんでした。正直日本には来たくなかったです。母とは一緒に住んだことがなかったことと、母は再婚していて新たに弟がいたので、この家族の一員になることに抵抗感がありました。ブラジルに帰りたいと思っていましたが、祖父が亡くなったことで日本に来たので帰る家がありません。我慢しているみたいな状況で、ちょっと日本が嫌いなときがありました。

今の仕事・活動について教えてください

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日本で活躍するブルガリア人の民族楽器奏者。「日本人がブルガリアを訪れるのは、6月のバラ祭りのときが最も多いです」、とダンチョさん。
ダンチョさん

僕の仕事は音楽です。ブルガリアの民族楽器ガドゥルカ奏者です。活動はライブやイベントなどで、いろいろな人とセッションしています。日本人も外国人も一緒に演奏しています。素晴らしいミュージシャンたちです。演奏するのはブルガリアの音楽だけじゃなくて、さまざまな音楽を演奏します。

ミシェリさん

日本語の教師で、日本語を教えています。主に、わたしと同じように両親の都合で日本に来た子どもたちに教えています。最近はブラジル人よりも、ネパール人やタイ人、中国人やベトナム人に教えることが多いです。日本語を教えつつ生活するためのルールも教えたりしています。ブラジル人の大人向けにポルトガル語で教えることもあります。

ユンさん

今の仕事は、インフルエンサー、YouTuberとしてタイ人向けに日本についていろいろな情報を発信しています。あとアルバイトもしています。アルバイトは2番目の息子が小学校に入ってから始めたんです。それまではずっと主婦でした。日本の会社で働くというのをしてみたかったんです。

どんなきっかけで今の仕事・活動を始めましたか

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質問したり、感想を言ったり、座談会は楽しく進んでいきます。
ダンチョさん

日本でどのくらいブルガリアの音楽が広がっていくか試してみたいと思ったからです。日本でブルガリア民族楽器を弾くブルガリア人は、まだ出会っていないです。

ミシェリさん

もともとのきっかけは、タイで日本語を教えるプログラムのちらしを大学で見かけて、「タイに行きたい!」と思ったことだったんです( (わらい)。でもその後、日本語教師は自分の経験や強みを活かせる仕事だと思い、専攻を日本語教育に変更して、大学院まで進みました。
自分が日本に来たばかりのときに学校で苦戦していたこともあって、自分だから伝えられるメッセージがあると思っています。

ユンさん

YouTubeは子どもが小さいときから始めました。当時はウェブサイトに日本に住んでいるタイ人のための部屋があって、わからないことを聞くと先輩が答えてくれるようなコミュニティがありました。そのサイトにわたしも書いたり写真を載せたりしているうちに、だんだん知られるようになりました。コスメティックの部屋もあって自分が買った日本の化粧品を紹介したり、使い方がわからないという友達のためにビデオを撮ったところ、それが人気になったんです。名前は「マダム サシミ」です。

ミシェリさん

最近タイに行きましたが、日本のコスメはすごく高いですけど、人気だと思いました。使い方の動画があると便利ですね。

ユンさん

日本で生活しているからこそわかるので、自分が体験したことや興味のあることを発信することで、これから日本に来る人に役立つ情報になるからです。目の前に友達がいるように話しているので、みなさんも友達だと思ってくれているのかもしれません。

ダンチョさん

「マダム サシミ」ですか、面白い! ぜひ探してみます。

 

日本と母国をつなぐ仕事・活動の1回目はいかがでしたか。YouTuber、日本語教師、演奏家と三者三様です。共通点は自分の好きなこと、自分の強みを活かしているところです。
2回目からはもう少し詳しく仕事・活動についてお聞きします。

 

── 次号へ続く