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「日本と母国をつなぐ仕事・活動」についてー第2回 仕事や活動についてー

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左からブルガリア出身のダンチョさん、タイ出身のユンさん、ブラジル出身のミシェリさん。

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第1回はコチラから

 

第2回 仕事や活動について

「母国と日本をつなぐ仕事・活動」を続ける三人の座談会を3回シリーズでお届けします。
2回目は、仕事や活動についてです。三人の活動や仕事に対して、家族や周りの友人たちからはどんな反応があるのでしょうか。
この仕事や活動を続けるなかで、ご自身や周りの環境など変わったことも話していただきました。

 

どのくらい今の仕事や活動を続けていますか

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ご主人とはポルトガル語で話すことが多いというミシェリさん。
ダンチョさん

音楽の仕事は日本に来てからも、ずっと続けています。もちろん音楽以外の仕事もしていますが、日本に来て17年間、定期的に音楽の仕事をしています。

ユンさん

YouTubeを始めたのは、今から13年くらい前です。Facebookはほぼ毎日アップしています。毎日更新したり、コメントに返信したりしないとエンゲージメントが下がるんですね。インフルエンサーとしての仕事が来たときに、フォロワーの数字よりエンゲージメントを聞かれます。わたしの場合は、だいたい「いいね!」が500以上で、多いときは3,000~6,000くらいつきます。

ダンチョさん

大変ですね。仕事みたいです。

ユンさん

そうです。仕事みたいです。

ミシェリさん

ボランティアとして日本語を教えて5年です。大学院を卒業し、日本語教師として社会に出て3年目です。仕事としたら、まだ日は浅いですね。子どもができたので一旦辞めますが、子育てをしながら日本語を教えたいと思っています。

ユンさん

子どもとは何語で話しますか。

ミシェリさん

悩んでいます。夫も同じ日系人で、夫の得意な言語で考えるとポルトガル語ですが、子どもとは日本語かなと思っています。
夫と二人で話すときはポルトガル語ですが、わたしはポルトガル語を忘れつつあるのでちょうどいいバランスです。2つの言語を混ぜながら話しています。

ユンさん

わたしが最初に日本に来たときは、夫とは英語で話していました。子どもが生まれてからは、わたしと子どもはタイ語、夫と子どもは日本語で、夫とわたしは英語です。
だんだん子どもが大きくなって、夫もタイ語が分かるようになり、わたしも日本語を勉強してわかるようになりました。最近はわたしがタイ語で話し、夫は日本語で話します。英語がなくなりました。子どもたちはタイ語も日本語もどちらもわかります。

ダンチョさん

最初は子どもにもブルガリア語を話してみたら、少し覚えました。1日中 (にちじゅう) 日本語の会話なので、ブルガリア語を日本語と同じようなスピードで覚えるのは難しいと思います。

ユンさん

高校生の長女はタイ語を話せますが、小学校1年生くらいのレベルです。読み書きはできません。下の息子は、タイ語を聞くことはできますが、話すことは長女より少ないです。わたしがタイ語で話しかけても日本語で返しますから、「タイ語を話さないと、おやつを食べられないよ」って息子に言うときもあります。

今の仕事や活動について、家族やまわりの人の反応はどうですか

どの国の民族楽器も、歴史をたどるのは難しいです。
ガドゥルカを弾くダンチョさん。
ミシェリさん

「外国人に日本語を教えている」と家族や親戚に言ってもあまりイメージがわかないようです。家族からは「ポルトガル語を教えるのではなくて、なんで日本語を教えているの」とはよく聞かれます。ブラジルは移民が多いですが、わざわざ外国人にポルトガル語を教えるというシステムはありません。イマージョン教育で、自分で覚えなさいということです。日本でわざわざ外国人に日本語を教えるというのが、わかりにくいのかもしれません。
ただ、小学校でブラジルについて紹介したことを話したときには、すごく喜んでくれました。

ユンさん

YouTubeを始めたころは、タイの家族も夫の家族もよくわからないけど、まあいいんじゃないというくらいでした。わたしや孫の様子を見られるので安心できますから。当時はインターネットでマーケティングするのは少なかったです。

ミシェリさん

13年前、 (ほか) にもインフルエンサーはいたんですか。

ユンさん

そうですね、当時はあまりいなかったんじゃないかと思います。インフルエンサーとしての初めての仕事は、10年前に岐阜県の白川郷を紹介するものでした。お金はもらえませんが、子どもを連れてすべて無料で旅行することができました。いろいろな写真を撮って、アップしました。長野のテレビニュースにも出ました。それはわたしの自慢です。夫の家族が驚いていましたね。

ダンチョさん

周りの人からたくさん応援してもらっています。来た当時はFacebookもしていないし、友達も少なかったです。Facebookを始めてからは、写真をアップするといろんな人とつながりますね。他のミュージシャンとの出会いは、SNSもあればコンサート会場、お店のオーナが紹介してくれたりもします。
ガドゥルカは隣国に似たような楽器はありますが、けっこう違いがあります。日本でいう (こと) や三味線と同じように、ブルガリアでは民族楽器としてよく知られています。

今の仕事や活動を始めたことで、自分や環境に変化はありましたか

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タイ人は明るいし、オープンマインドです。
ダンチョさん

経験を重ねて、7年ほど前にいろいろ変わりました。自分として大事なことは、なんの音楽をするか、誰とするか、どこでするかです。自分から声をかけてするときは、自分が仕切らなければなりません。誘われるときももちろんあります。ライブなのかイベントなのかなど、目的やテーマも考えてどんな雰囲気で一緒に演奏するのか。自分としては今までやってきたことや、次にやりたいことなどいろいろあります。
ブルガリアの音楽を広げることは難しいかもしれませんが、紹介することはできます。広げるのはブルガリアからミュージシャンや合唱団が来るときだと思うんです。僕としては紹介する機会が増えていけばいいと思っています。

ユンさん

わたし自身、たくさん変わったと思います。タイ人は明るくて、よく話してうるさいし、細かいことまで聞きますし、自分自身のこともオープンにします。しかし、日本人には壁があるように感じます。
日本に来て、一度ショックなことがありました。子どもの幼稚園のママ友ですが、園内ではよく挨拶もするし話もします。家にも何度も来てタイ料理で食事をしたりしたんですが、幼稚園の外で偶然会ったときに無視されたんですね。とてもショックで、悲しかったんです。そのとき夫に一回タイへ帰るか、頑張るかどっちにすると聞かれて、わたしは頑張ることにしたんです。
それから変わりました。タイと日本の文化や考え方の違いを紹介しようと思いました。

ミシェリさん

わたしも教えてもらいたかったですね。教育関係で働いていることもあり、日本の学校のことやママ友のことなどを外国人保護者に教えたことがあります。日本に来ているタイ人の奥さんたちに、日本のことを伝えるのはすごく大切なことだと思います。過ごしていくうちに自分で気づく部分はあるんですけど、建前や社交辞令とかを先に知っておくのはいいですよね。
今度 (こんど) 遊ぼうね」と言われたら、ブラジル人だったら「いつにする、何曜日がいい」とすぐ予定を決めますが、日本人の場合は「えっ!」と驚かれます。

ユンさん・ダンチョさん

同じです。じゃあ、いつにする?と言う話になりますよね!

日本の人に母国のことを知ってもらえましたか

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日本の社交辞令には、三人とも最初は戸惑ったといいます。
ダンチョさん

わたしがガドゥルカを始めたきっかけは、7歳のときに同じクラスの子が習っていて、「一緒に行きませんか」と誘ってくれたんです。それからガドゥルカが大好きになりました。ブルガリアの音楽を通じて、民族楽器のことなども紹介できたらうれしいです。初めてブルガリアの音楽を聴いた人からの感想はいろいろいただきますね。

ユンさん

YouTubeでは、日本のことをストレートに書いたり話したりしています。
また、時間があるときはマンツーマンでタイ語を教えたりもしています。今は香港の (かた) 一人だけですが、日本語でタイ語を教えています。その人はタイのドラマが好きで、教科書に載っている言葉ではなくスラングを教えたりします。タイの言葉だけでなく、タイの文化や料理も教えます。
地域の交流センターでもタイの文化を紹介したり、ママ友に料理を教えたりしています。タイのことを日本に教えたりもします。「教え方が面白い」という感想が多いです。

ミシェリさん

わたしの場合、自分がルーツを持つブラジルだけでなく、子どもたちがルーツを持つ国々も含めて、多文化理解に教室の子どもたちをつなげる役割があるのかなと思っています。
教室の子どもたちには、外国にルーツを持つ子どもたちの体験をしよう、という授業をしています。わたしが教室でポルトガル語だけで授業をするんですね。いかに外国人の子たちが、日本に来て大変な思いをしているかを知ってもらうためです。
あとは授業の中で必ず教えているのが各国でのルールやジェスチャーの違いです。胸の前で両手をクロスするバツやOKのジェスチャーも国によって違いますから、海外にはいろいろなジェスチャーがあることを伝えます。子どもたちからもジェスチャーが違うって知らなかったとか、知ってよかったというコメントをもらいます。

2回目の座談会はいかがでしたか。
三人の家族や周りの人の反応にもあるように、自分の国や文化について、他の (くに) の人に紹介してもらえることはやはり嬉しいものです。彼らを通して、私たちがその国や文化につながることができるのも、また楽しいですよね。
日本と母国をつなぐ仕事・活動を続けてきた中で、少しずつ変化もあるようですね。
次回は、これからのことについて話していただきます。

 

── 次号へ続く