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外国につながる若者たちの座談会 ー第3回 アイデンティティについてー

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左からネパール出身のプラギャンさん、ペルー出身のさぶりなさん、台湾出身のゆうこさん。

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第1回はコチラから

第3回 アイデンティティについて

外国につながる若者の座談会3回目は、「アイデンティティについて」です。
「ハーフ?」―悪気なく発した言葉に、その人は傷ついているかもしれません。
子どもの頃から国境を越えて生活したり、異なる言語や文化に揉まれたりする中で、「自分は何者なのか」というアイデンティティの悩みにぶつかる子どもや若者は少なくありません。
大人になるにつれ、少しずつ自分を受け入れることができたという3人に、その過程や、当時感じていたことについて話していただきました。

 

お国はどちらですか、と聞かれたら何と答えるか

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「出身は日本です、と言うと驚かれるので、あえてそうしています」とプラギャンさん。
プラギャンさん

国を聞かれたら、ネパールって答えます。

さぶりなさん

お国は?と聞かれると、わたしは困るかもしれないです。
何人 (なにじん) ですか?なら、ペルー人で、ブラジル人で、日本人ですと答えます。
出身を聞かれたら、ペルー、国籍を聞かれたら、ブラジルって答えます。

ゆうこさん

そもそも「お国」という単語が腑に落ちていないという部分もあって、何をもって国なんだろうと思います。育ってきた場所、故郷は間違いなく台湾なので、台湾で生まれ育ちましたと言います。

Q. 相手のことを知ろうとするときに、「お国は?」「どこ出身ですか?」「何人 (なにじん) ですか?」などいろいろな聞き方がありますが、どう聞かれたら答えやすいですか。

さぶりなさん・ゆうこさん

出身ですね、1か所しかないので。

プラギャンさん

出身を聞かれると、僕はちょっと困ります。日本生まれなので、相手が驚きます。そこからコミュニケーションが生まれるので、いいんですけどね。

さぶりなさん

わたしも出身はペルーと言うと、「日本人じゃないの?」というお決まりの会話が始まります。

ゆうこさん

絶対そうなりますよね。わたしも嘘はつきたくないから、台湾とちゃんと言います。

Q. 外国につながる若者には、いろいろな呼び方があります。みなさんは自分自身のことをどう話していますか。

さぶりなさん

祖父母が移民として南米 (なんべい) に行って日本に戻ってきているので、自分は移民だと思います。ただ、日本は移民という言葉をあまり使っていないので、外国人と定義されることが多いです。自分のルーツについて話すときは、ミックスと言います。5か国にルーツがあるからです。

プラギャンさん

ハーフですか、と聞かれることが多いです。冗談でダブルと答えていたんですけど、最近は本当にダブルが使われているんですね。家族は20数年日本にいるので、移民と言っていいと思います。移民という言葉を使わないのであれば、外国人でもいいです。

ゆうこさん

(自分は)移民ではないと思いつつ、『それなら、自分は (なん) だろう』と日々考えています。自分を言葉で表すとしたら、ミックスを使います。それが一番近い気がします。

さぶりなさん

雑種と言われたことがありますが、やだなって思いました。

ゆうこさん

最初、台湾にいたときはハーフと言っていました。本を読んだりしてハーフという言葉の使われ方や、言葉のもつイメージなど、色々なことが分かるにつれて、ミックスやダブルなど、別の言葉で自分を説明するようになりました。

さぶりなさん

いろいろな () (かた) がありますが、差別的でないことが大切だと思います。他の人が勝手に決めつけて呼ぶよりは、本人が選んだ () (かた) が一番いいのかなと思います。

何歳くらいからアイデンティティやルーツなどを考えるようになったか

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ゆうこさんは美容院で出身を聞かれて「台湾」と答えると、すごく驚かれるそうです。
プラギャンさん

僕はアイデンティティであまり悩まなかったんです。多分、外国につながる若者の特殊性を利用したからかなって思います。逃げ道ですよね。何かできなかったら、外国人だからと言い訳にしたり、笑いを取ったりしてきたところはあるかもしれません。

さぶりなさん

わたしがアイデンティティに悩み始めたのは、日本に来てからなんです。
ブラジルの人は、髪の色も肌の色もさまざまです。いろいろなルーツの人がいても、みんなポルトガル語で話しかけるし、みんなブラジル人なんです。日本では、わたしは国籍も、生まれも、見た目も多くの人がイメージする「外国人」と違うから、周りが理解したいために、何人 (なにじん) ?と聞かれます。その度に何者であるかの判断を求められるので、アイデンティティに悩みだしたんだと思います。

ゆうこさん

わたしは3~4歳のころからです。台湾には日系の幼稚園のようなものがあり、台湾の子は日本語を、日本の子は中国語を学ぶ授業があります。わたしは「ゆうこ」という名前を持ちながら、台湾の子として日本語を学ぶクラスに分けられました。あれ?と思ったので、明確に覚えています。この先の人生では、こうした振り分けが待っているのか、と思いました。

さぶりなさん

わたしは南米では「日系の子」というひとつのカテゴリーなんです。育ったアマゾンには日系人はいないので、日系の文化には触れてきていません。自分の中では日本に対して強いアイデンティティを感じたことがなかったんです。恋しいとか、懐かしいとか思うものは南米にあります。

プラギャンさん

僕は小学校2~3年生だけ日本にいて、その (あいだ) にネパール語は完全に忘れていたので、ネパールへ帰った時に周りの子に「外国人」と言われて、少し腹が立ったんです。生活する中で徐々にネパール語を思い出しましたが、高校に上がるときに日本に来たら、ここでもまた「外国人」と言われました。僕は世界のどこに行っても外国人なんだ、と思いました。いま (くに) に戻っても、外国人と言われます。

さぶりなさん

そうですよね。
旅行するたびにパスポートはブラジルで、中に書いてある出身地はペルーで、見た目は日本人、どこに行っても「外国人」と判断されるので、自分は何者なんだろうと、ずっと思っていました。わたしはアイデンティティがジェンガのように組み合わさって、どれを取っても、わたしじゃなくなる。
大学生のときにアイデンティティクライシスに陥りました。乗り越えられたのも、大学やインターンで同じような人たちと出会って話をしたからです。理解できる仲間と出会うことは、とても大きいです。

外国につながる後輩たちに、かけたい言葉

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「アイデンティティに困らない若者もいます。言葉も困らない、自分はハーフだと思っている、無理に母語を維持しようと思っていない。それで幸せなら、それでいいと思います」、とさぶりなさん。
ゆうこさん

このわたしでよかったなと、今なら思えます。

さぶりなさん・プラギャンさん

そうですね、今の自分でいいと思います。

ゆうこさん

多言語話者、多文化を持っている人たちにかかわらず、すべての経験に意味があると思っています。過去の自分に声をかけるなら、人間性を磨くための修行だよと言います。
また、わたしと同じような環境で育ってきたり、同じような孤独を抱えている人たちにぜひ伝えたいです。ここを乗り越えたら最強だよと。

さぶりなさん

アイデンティティに悩んでいた当時のわたしは、周りに合わせなきゃいけない、相手の思うような答えをしなければいけないと思い過ぎて悩んでいたと思うんです。自分をそのまま受け入れればよかったんだなって思います。当時の自分には、そのままでいいんだよって言いたいです。

ゆうこさん

中学生のときに、ドイツと日本のミックスの先生と出会ったんです。当時、国語(日本語)が全然伸びなくて、何をしても中途半端だという悩みや、誰にも言えない苦しさがありました。先生にもそれが伝わっていて、「2つの言語と文化を持っているというのは、2つのエンジンがあると考えたらいい。2つもあるからエンジンがかかるまでに時間がかかるけど、かかったら誰もわたしたちに勝てないんだよ」と言われました。その言葉に救われて、今があります。

プラギャンさん

いい先生ですね。

日本が好きだから、いろいろな人にとって住みやすくなってほしい

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日本が好きだという3人の若者たち。こうした若者の声で、日本が少しずつ変わっていくかもしれません。
さぶりなさん

日本、好きなんですよね。

ゆうこさん

わたしも好きです。ごはんはおいしいですし、ウォシュレットもあるし、銭湯もあります。

プラギャンさん

僕もそう思います。 (ほか) の国には行けないような気がします。

さぶりなさん

日本が好きだから、自分と同じような人が住みやすくなってくれたらいいと思っています。
出稼ぎに来て、日本が嫌になって帰る日系人がたくさんいるんですよ。日系人って、日本にルーツがあることを本当に誇りに思っている人が多くて、その人たちが日本に来ると「外国人」「日本人じゃない」と言われてしまう。一度、「日本は経済的に豊かになるけど、心が貧しくなるから帰ってきた」と聞きました。すごく悲しい反面、その気持ちは少し分かるなって思いました。周りからなかなか受け入れてもらえないし、常に外国人扱いされるし、ときにペルー代表のような意見を求められる。日本が色々な人にとって住みやすくなってほしいという気持ちで日本にいます。

Q. 今後、日本と国を () () する予定はありますか。

ゆうこさん

日本の生活が9年目になり、気心の知れた友達がみんな日本にいます。今後のキャリアで台湾に戻ることはないと思っています。家族がいるから帰る場所、という感覚で台湾とつながっていくと思います。

さぶりなさん

両親が南米に戻ったら会いに行ったりすることはあるかもしれないですが、わたしが帰りたいというのは、今はありません。日本で自分と同じような人が、少しでも選択肢が増えるようなことをしたいんです。自分ができるところまでやれたと思ったら、最終的にはアマゾンに帰りたいです。自然の中での生活が忘れられないです。

プラギャンさん

ネパールは (ほか) の国に移住する人が多く、残っているのは祖父母だけで、僕の家族を含め、友達とか親戚は世界のあちこちにいます。こうした中で僕がネパールに戻るということは、今のところありません。両親は戻りたいらしいんですけど。

Q. 帰化について考えたことはありますか。

プラギャンさん

僕は帰化したいですが、両親がネパール人として生きてほしいと反対しているので、ちょっと難しいです。今研究とかで海外に行ったりすることがありますが、毎回ビザの申請をしなければなりません。僕は選挙で投票したいなと思っています。

さぶりなさん

帰化できるようになったタイミングで、通知が来たんです。当時はアイデンティティに悩んでいて、パスポートを返すとそれを示すものがなくなってしまう、と感じました。今は、別にそんなにこだわらなくていいのかなと感じます。
今後日本で子育てをすると考えたら、帰化したいです。子どもが大変な思いをするし、パートナーも国際結婚で大変な思いをするので。でもいろいろな書類も必要で大変みたいなので、それまでは、帰化しなくてもいいかなと思っています。

ゆうこさん

わたしたちって、「外国につながる若者」のような呼ばれ方をよくするけど、いろいろな形で "日本につながる" 若者だと思うんですよね。「台湾出身」と話すと「台湾人なの?」と聞かれるけれど、「日本人」「台湾人」のような判別ではなく、多様なつながり方で、日本とつながっている人がいるということを、もっと知ってほしいですね。

3回目の座談会はいかがでしたか。
それぞれ多様な形で日本につながる3人の若者たち。
周りとの違いに悩んだ時期もありながら、「○○ (じん) 」としてではなく「わたし」として向き合える仲間に出会えたことで、今ではそれらを自らの強みとしながら、同じような背景をもつ後輩たちの力になろうとしています。
3回シリーズは今回で終わります。次回からは「料理店の外国人」の座談会になります。