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外国につながる若者たちの座談会 ー第2回 学校と進学についてー

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左からペルー出身のさぶりなさん、ネパール出身のプラギャンさん、台湾出身のゆうこさん。

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第1回はコチラから

第2回 学校と進学について

外国につながる若者の座談会の2回目は、「学校と進学について」をお届けします。
日本語のサポートや、進学情報など、学校や地域によっても外国につながる子どもたちの受入れや支援体制にはかなり差があるようです。当時知らなくて困ったことや、戸惑ったことについて、振り返って話していただきました。

 

学校で日本語のサポートはありましたか

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「学校に自分と同じような境遇の人がいないのは、とても不安です」と、さぶりなさん。
さぶりなさん

最初に入った神奈川県の小学校では、日本語のサポートなど、何も支援がありませんでした。外国人の生徒が多い別の小学校に移ってからは、日本語の授業がありました。わたしはその頃には日本語ができたので、そこに通うことはありませんでした。

プラギャンさん

小学校には日本語のサポートはなかったので、区役所の日本語教室に通っていました。先生が優しくて常に心配してくれました。家庭訪問もあり、両親と頻繁に話してくれました。

さぶりなさん

熱心な先生ですね。
最初に入った小学校はいじめが多くて、わたしがそのターゲットになった時、場面緘黙症になって人前で話せなくなりました。それを知らない母は、とにかくわたしに勉強してほしいから、学校の三者面談で「もっと厳しくしてほしい」と先生に言うんです。
三者面談で先生から言われたことは、「娘さんは精神病か何か障害があるから、障害がある学校に行ったほういい」って。その頃のわたしは、日本語を話せないし、怒ったりもできなかったけど、理解はできるんです。日本語ができないだけで障害があると勝手に思われて、それがとにかくつらかったです。わたしみたいな子は (ほか) にもいるんじゃないかと思います。

ゆうこさん

台湾の日本人学校の場合は、国際結婚の家庭の割合が多いです。入学する段階で日本語のハンデのある子が一定数 (いっていすう) 見込まれるので、日本語の補習授業は低学年を対象にありました。先生の判断で生徒に声をかけて、補習授業に参加します。わたしは全然話せませんでしたが、先生から声をかけられなかったので、じっと耐えて教室で頑張っていました。

さぶりなさん

自分と同じような境遇の人がいない学校に入ると、不安でしかないですよね。多分、先生たちもどうしていいか分からないと思っていて、その不安が生徒に伝わってくるんです。わたしも先生になんて言えばいいか分からないから、学校にいる時間が嫌な気持ちなんです。

ゆうこさん

わたしも、自分と同じような背景を持つ人と出会いたかったです。同級生ではなく、少し年上の人に。最初は日本語を話せない状態で日本人学校に入ったので、国語とか読解力が身につかなくて。当時は自分のルーツやアイデンティティに自信が持てなかったので、これらを乗り越えた経験者の話を聞きたかったです。

日本の学校で困ったことや、戸惑ったことはありましたか

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「日本の学校のプールの授業には戸惑いました。人前で競泳用水着姿になって、泳げなかったし恥ずかしかったです」と、プラギャンさん。
プラギャンさん

日本の学校とネパールの学校は、全然違うと思いました。今は改善されていると思いますが、当時ネパールは体罰がひどかったので、学校が大嫌いでした。日本の学校は体罰がなくて、いい所だと思いました。

さぶりなさん

南米では登下校の際には必ず、親がついてきます。特に日系の子どもはお金を持っているという認識で、誘拐が多かったのです。母は日本でもずっとその認識だったので、日本でも登校班や修学旅行とかについて来ようとするんです。日本は子供たちだけで外で遊んだりしますが、そこが全然違います。
それから、日本の学校は勉強ができなくても、小学校も中学校も卒業できるので、楽だと思いました。ペルーは小学校から留年制度があります。

プラギャンさん

ネパールもそうです。学年に一人 (ひとり) だけ大きい子がいました。

さぶりなさん

小学校の1年生を3回する人もいます。

プラギャンさん

あと、先生の在り方は、日本とネパールで違うと思いました。

ゆうこさん

確かにそうですね。日本の先生たちは、すごく礼儀正しくて、生徒との距離感も適切だと思います。高校で台湾の現地校に入学したら、先生とはLINEでやり取りする関係で、生徒との距離がすごく近いんですよ。先生たちの振舞い方も違って、先生っぽくないです。

さぶりなさん

学校は勉強をしに行くところなのに、日本の学校では大縄跳びとか合唱コンクールなどみんなで何かを一緒にする行事が多いのは謎でしたね。南米はサッカー大会だけはあったんですが、それ以外はないです。

ゆうこさん

日本人学校は日本の学校をそのまま持ってきたようなところなので、技術や体育など体験学習が多いです。でも、台湾の高校では運動会は出たい人が出る形だったので、クラスが一つになって何かをするというのはありませんでした。そのため友達との仲の良さが違うので、台湾の高校の同窓会は聞かないですね。

高校・大学進学するときに、分からないことはありましたか。

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「大学についての情報は、ほとんど自分で調べました」と、ゆうこさん。
プラギャンさん

高校は分からないことだらけでした。大学は日本で (はい) ろうと思っていましたが、両親に高校から日本に来たらどうだと言われて、気軽な気持ちで来てしまいました。高校受験をしなければならなくて、日本語も忘れかけていたので、区役所に相談して紹介してもらった多文化共生センター東京で小学校から中学3年生までの勉強をしました。そこがなかったら、大変でした。

ゆうこさん

1年間勉強してから高校の試験を受けたんですか。

プラギャンさん

はい、そうです。僕はまだ少し日本語のベースがあったから1年で高校に入ることができたけど、無かったら難しかったと思います。僕が1年で高校に入ったのを見て、周りのネパール人の親たちは (ほか) の子供たちを呼び寄せるんですよ。でも、日本語を何も知らない状態で来たら、かなり大変だと思います。

さぶりなさん

どこの高校がいいとか、みんなが当たり前に知っている情報がわかりませんでした。
先生に「あなたは日本語ができないから指定校を受験しなさい」と言われて、正直ショックでした。こんなに話せるようになったのに、まだできないと言われる。わたしは頑張っても無理なんだと思って、言われた通りの指定校に入りました。県内でも偏差値の低い高校でした。もう少しいい高校に行けたのではないかと今でも思います。

プラギャンさん

僕たちのような背景を持つ子の選択できる高校がもっと増えるといいなと思います。受験の時、だいたいの子は外国人枠を受けるんですが、その枠がある学校が少ないんです。高校によって偏差値やレベルが違うことを知りたかったです。ネパールはどこも同じなので、レベルの差がないんです。

さぶりなさん

日本に来て3年以内であれば、日本語ができなくても入ることができる学校があるんですが、わたしはその枠に漏れてしまうんです。わたしも高校にレベル差があることを知りたかったです。わたしの () った高校は就職支援しかなくて、大学進学したのは5人だけです。わたしは大学進学を想定していたので、違う高校を選択したほうがいいということを知りたかったです。

ゆうこさん

日本人学校から台湾の高校に行くなら、外国人枠になります。ただ、わたしは台湾と日本の国籍を両方持っているので、その枠は使えず、一般受験になるんです。日本人学校で習ったことに加え、現地校の中学3年間のカリキュラムを詰め込まなきゃいけなくて、低めのレベルの高校に入りました。勉強に意識が向かないクラスの中で色んなことを感じながら、日本に行きたいという思いが強まり、大学進学を機に日本に来ました。進学については父がアドバイスをくれました。

さぶりなさん

高校も大学も、両親に相談したことがないです。母からは「進学しろ」、父からは「働け」と言われ、両親が真逆の意見でした。唯一、高校の進路指導室でとてもいい先生に出会えたので何とか大学に行くことができました。

身近にロールモデルになるような人はいましたか

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外国につながる若者たちは、一人ひとりみんな違うと言います。
さぶりなさん・ゆうこさん

ロールモデルのような人はいなかったです。いたら話が聞きたかった。

ゆうこさん

自分たちがロールモデルになれたらいいですね。

さぶりなさん

外国につながる子たちが多い定時制高校で、自分がロールモデルになれたらと思ってこれまで生徒たちと関わってきました。在留資格やお金の問題など、生徒たちの悩みはいろいろあります。ただ、永住権のある日系人のわたしと永住権のない子ではアルバイトの時間制限がある点や、奨学金が借りられない点など条件が違うので、わたしはロールモデルにはなれないのかなと思ってしまいます。

プラギャンさん

そうですね。ロールモデルになるのは難しそうですね。一人ひとり条件が違うから。

ゆうこさん

確かに。わたしは日本国籍を持っているし、同じ前提で話すことができないから、もどかしさやジレンマがありました。

さぶりなさん

わかります。単純に同じような背景をもつ子だからといって、ロールモデルになれるわけじゃないというのは強く思いました。

プラギャンさん

ただ、相談にのることはできます。

ゆうこさん

つなげることはできますね。

プラギャンさん

僕をサポートしてくれた (かた) たちが、今も当時と同じサポートをし続けているんです。そこに加わることで、少しずつ恩返しができているかなと思っています。

ゆうこさん

2国間で、2言語の (あいだ) で、2つの文化の (あいだ) で、さまざまな葛藤や挫折、失敗を消化して研究のテーマにしました。外国出身であることや、外国につながりがあるということだけでなく、いろいろな形で日本とつながっていることにスポットを当てることで、より多くの人に知ってもらいたいです。そして、わたしが幼少期にずっと思っていた、自分と似たような背景をもつ人と話せないかな、わたしだけかな、という日常から解消されるのではないかと思うんです。間接的に自分なりに説得力を身につけて、日本は多文化だという前提を作っていけたらと思います。

2回目の座談会はいかがでしたか。
周りの友人たちとは状況が違うために、一人悩んだことや、人一倍の努力が必要だったこともあったようです。そんな3人が、当時の自分が必要としていたロールモデルになれるよう、現在は一先輩として外国につながる中高生たちに寄り添っています。当事者としての外国につながる若者たちの言葉は、さまざまな学びと発見をもたらしてくれます。
次回は「アイデンティティについて」です。

── 次号へ続く