多文化クロストーク
料理店の外国人の座談会 ー第1回 東京でお店を持つことについてー

3人のプロフィール
ヨウ(中国出身)
- 在住年数
- 23年
- 母語
- 中国語
- 好きな日本語
- 笑う門には福来る
- 東京で好きな場所
- 錦糸町
- 好きな食べ物
- 寿司、天ぷら
- 趣味
- 書道、生け花
- お国での仕事
- 社長秘書、ホテルの営業マネージャー
エフレム(エチオピア出身)
- 在住年数
- 20年
- 母語
- アムハラ語
- 好きな日本語
- お先に失礼します
- 東京で好きな場所
- 四つ木と立石
- 好きな食べ物
- 寿司、焼肉
- 趣味
- カラオケ
- お国での仕事
- 会計士
ウヌル(モンゴル出身)
- 在住年数
- 25年
- 母語
- モンゴル語
- 好きな日本語
- 原点
- 東京で好きな場所
- 両国
- 好きな食べ物
- ラーメン
- 趣味
- スノーボード
- お国での仕事
- なし(学生)
第1回 東京でお店を持つことについて
料理店の外国人の座談会を3回シリーズでお届けします。
東京では世界各国の料理を食べることができます。日本人でも自分のお店を持つことはとても大変ですが、在住外国人が飲食店を開き、経営するのはまた違った苦労があるようです。
第1回目は「東京でお店を持つことについて」です。日本でお店を開くことになったきっかけや、その準備、大変だったことなどを話していただきました。
日本に来たきっかけは何ですか

料理人である夫は、仕事で1996年に日本に来ていました。わたしは2001年の冬に来ました。
大使館の仕事で2004年に日本に来ました。最初から日本に来たいと思っていたというよりは、偶然日本だったということです。
エチオピアのテレビで日本のドラマ「おしん」や、日本のテクノロジーを特集した番組を見ていたので、日本のイメージはありました。「おしん」は字幕も吹き替えもなく日本語のままでしたが、エチオピアではとても人気で、泣く人もいました。
力士をやるために中学を卒業した1998年、15歳のときに日本に来ました。
スカウトされたわけではありません。親が力士にさせたかったようで、日本の相撲の親方に手紙を書くように言われてお願いをしました。
一人で日本に来ましたが、新しいことへの興味などから、あまり寂しいということはなかったです。
日本語の勉強は学校でなく、日本語クラブのようなところで簡単なあいさつなどを覚えて日本に来ました。日本に来てからは独学です。仕事場で日本人の先輩などが教えてくれました。
日本語をまったく話せないまま、来ました。最初はちょっと大変でしたが、コミュニケーションすることで覚えていきました。自分の国ではないので、少しくらい間違えてもいいんじゃないかと思っています。今も日本語は下手ですけど、学校には一度も行っていません。
相撲部屋なので団体生活なんです。朝から晩まで日本語で生活しているので、1年ぐらいで普通に会話ができるようになりました。15歳だったら、誰でも言葉は早く覚えると思います。
みなさんのお店について教えてください

わたしの店は「百宴香」という名前で、2010年に開店しました。中国で "百" は "全部" という意味があります。"宴" は "宴会" で、"香" は "香りがあっておいしい料理"という意味を込めています。また、すべての字に「口」の字が入っているので、お客様にたくさん食べてもらえるようにと思ってつけました。
店の名前は「リトルエチオピア」で、2016年に始めました。住んでいるのがエチオピア人の多い地域だったから、実は店を開く前にそのことで新聞社の取材を受けたことがあったんです。記者の人に「ここはリトル アディスアベバ(エチオピアの首都)ですね」と言われて、そこからヒントをもらって、リトル エチオピアという店の名前にしました。
2007年に母が店を開きましたが、わたしはその時まだ力士でした。店名は「モンゴル料理 ウランバートル」で、モンゴルの首都の名前をつけました。当時、内モンゴル*の人たちの料理店はありましたが、モンゴルの料理店は殆どありませんでした。
*中国北部に位置し、モンゴル高原の南部を占める自治区。区都はフフホト。
私は中国のお客様も日本のお客さんも両方来られるように、アットホームで楽しめるようなお店を作りたいと思っていました。
私も一緒です。エチオピア人はもちろん、日本人やその他の国の人たちにエチオピアの文化を紹介したいと考えていました。
力士がたくさん食べられる店、として最初オープンしました。今ではいろいろな人が来てくれるので、料理を食べてみて、そこからモンゴルという国を知って、モンゴルに行きたいなとか思ってくれたら嬉しいですね。
どうしてお店を開こうと思いましたか

自分の店を持つことは、最初あまり考えていませんでした。親戚の飲食店で働いていたときに、お客様から「料理の腕がいいから自分の店を出したら」と勧められたんです。主人がやりたいと言ったのでお店を出すことにしました。
日本人はエチオピアについて、最初の東京オリンピックを見た*年輩の人たちは知ってるけど、若い人たちはあまり知らないんです。エチオピアの文化などをもっと紹介したいと思っていました。おいしいエチオピアのコーヒーを知っているので、自分は仕事があるのでできないけど、コーヒーショップなら妻一人でもできるかと思ったのです。
*1964年の東京オリンピックで、エチオピア出身のアベベ・ビキラ選手がマラソンで優勝し2連覇を達成しました。
母はモンゴルでレストランをしていたんですが、日本に来ている間にモンゴルの店の契約を解約されてしまって、店に戻れなくなったんです。
当時、両国にモンゴル人力士が増えていたけれど、モンゴル料理を食べるところがないからと家でご飯を作って出していたんです。店を出したら、自由に食べに来ることができるんじゃないかと思いました。
それはいい考えですね。
お店の場所を今の場所にしたのはどうしてですか

(お店は)両国で出すことしか考えていませんでした。両国にずっと住んでいたので、他の地域のことは知らないし、調べたこともありません。
わたしも同じです。日本に来てからずっと錦糸町に住んでいて、たまに他の場所にも遊びに行きますが、やっぱり錦糸町が好きです。
人通りが多いのでいい場所なんですが、競争も激しいです。最初はすごく大変で、別の店に勤めていた時のほうが生活に余裕がありました。今は14年目になり、店も落ち着きました。
僕もそうです。四つ木に15年以上住んでいますが、ビジネスのことを考えたらきっとお店を開く場所じゃないんです。でも、同じ地域にエチオピア人が多く住んでいるから、もっと地域の日本人にエチオピアの文化を知らせたいと思ったんです。
一番大変だったのは、物件を探すことです。いい場所だと思っても貸してくれるわけではありません。立地のいいところは条件も厳しいです。「中華料理は煙が多い」「店を出すのが初めてだと心配」などと断られて、今の物件が見つかるまで、2~3か月かかりました。
ここを貸してくれた方も最初はすごく心配して、一度あなたたちの料理を確認したいと言われました。当時働いていたお店に来て料理を食べてもらいました。「これなら大丈夫」と、借りることができました。
わたしの場合、物件探しはそんなに大変じゃなかったです。下町でみんな知り合いだったので、コーヒーショップをやりたいと言ったら、いろいろな物件を紹介してくれました。物件を見に来た近所の人たちから「ここならレストランにすれば」「バーもあるといいね」などアドバイスをもらって、結果的にレストラン&バーになったんです。
物件のオーナーの方とは直接契約しました。近所の人とのコミュニケ―ションができていたからこそだと思います。
物件探しは知り合いの不動産屋さんにお願いをして、探してもらいました。両国周辺がよかったのですが、なかなかいい物件がなく、1年かかりました。
料理店を始めようと思って日本に来たわけではない三人が、自分の国の文化や味を伝えるためにと、料理店を始めることになりました。2軒の店は10年以上続いていて、1軒は今年8年目に入ります。コロナ禍も経て、継続して続けてくるのは大変だったと思います。
次回は「開店の準備」について、うかがいます。
── 次号へ続く
三人のお店
-
百宴香(ヨウさんのお店)
TEL:03-5619-1082
営業時間:11:30~15:00 / 17:00~23:00
住所:東京都墨田区太平4-2-1
https://maps.app.goo.gl/dnscbSnUCEvx7raL6
- リトルエチオピアレストランバー(エフレムさんのお店)
TEL:03-6323-3983
営業時間:[火~金]11:00~14:00 / 17:00~23:00
[土日祝]17:00~23:00
住所:東京都葛飾区東四つ木3丁目23-6
https://maps.app.goo.gl/2zaaB9ATtgK6hbHw6
- モンゴル料理 ウランバートル(ウヌルさんのお店)
TEL:050-5600-4444
営業時間:11:30〜14:30 (L.O.14:00)
17:30〜22:00(L.O.21:30)
住所:東京都墨田区両国3-22-11 2F