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女性たちの記憶が宿る「櫛かんざし美術館」

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東京と神奈川の県境を流れる多摩川の上流のほとり。緑にあふれ、小鳥がさえずる自然豊かな青梅 (おうめ) の地に、日本唯一の櫛かんざし美術館がある。かんざしとは日本 (がみ) ※を結った際に飾られる装飾品で、江戸時代を中心に女性たちの間でもてはやされたものだ。収集家、岡崎智予 (ちよ) 氏によって集められた3000点もの櫛とかんざしのコレクションが、この風光明媚な土地に建つ美術館に収められている。屋根がほんの少しだけカーブしているのは、女性の柔らかさを表しているという。

※主に、江戸時代から昭和前期にかけて普及した日本女性の独特なヘアスタイルの総称。髪にボリュームをもたせ、決まった型に合わせて結い上げるアップスタイルのこと。

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女性たちが日常的に日本 (がみ) を結っていたのは、江戸時代から昭和前期まで。それ以前は長い髪をおろすのが主流であった。江戸時代前期、動きやすいようにと髪を結う習慣が庶民から始まり、その後、武家の女性たちの間で結った髪に挿す装飾品"かんざし"が生まれた。それが江戸後期になると商人にも広がり、大衆化していったのだそう。色、素材、あしらい、形と、かんざしの持つさまざまな表情は、当時を生きる女性たちのおしゃれ (ごころ) を表しているようだ。

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館内で一番古い作品は、べっ甲の櫛と (こうがい) まげの芯にするもの。日本 (がみ) はカジュアルな装いとされていたので、女性が公の場に出るときは結い上げた髪をおろす必要があった。そのとき、この (こうがい) () を引き抜くと、長い髪がパラリとほどけて、簡単に髪を垂らすことができるのだ。

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江戸初期頃の櫛は両端の幅が狭いが、後期になるにつれてだんだんと広くなる。また、形も四角から横長へと変わっていく。江戸に比べて明治時代に作られた櫛が小さいのは、日本 (がみ) の大きさがだんだん小さくなっていったためだ。展示品は時代順に並べられているため、流行や機能性を求めて形が変化していったことが見てとれる。

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上の写真は江戸時代のかんざしを並べたもの。先端には耳かきがついているのが特徴だ。当時は庶民の贅沢が禁止されていたため、アクセサリーとして櫛かんざしを頭に飾ることは許されなかった。そこで、あくまでも実用品であることを主張するために、耳かきがあしらわれることとなったそうだ。

幕末から明治にかけての櫛かんざしは、サイズは小さいものの、江戸の熟練した職人の手によって緻密で繊細なものが作られていた。しかし、大正時代に入ると機械化が進み、昭和にかけて大きくて派手な櫛かんざしが作られるようになる。今では使用することができないセルロイドを使ったものも多く、江戸とは違った華やかさを備えている。

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春は梅や桜、夏はガラスや水晶、秋は紅葉、冬はつばき......と、江戸時代の櫛かんざしの装飾には季節が感じられたが、それもだんだん少なくなり、通年で使えるようなものが増えていった。そして、日本髪を結う習慣が失われるにつれ、櫛かんざしも衰退していったのだ。

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かつては日用品として女性たちの髪を飾り、 櫛かんざし。時を超えて芸術品に姿を変え、今では時代とともに失われた美しさを見る者に語りかけてくる。大切な人からの贈り物だったり、美しさを競い合うためのものだったり、苦労してようやく手に入れたものだったり......、それぞれの櫛かんざしに秘められた物語はさまざまだ。当時の女性たちの記憶を宿す櫛かんざしから、活気に満ちた江戸の街に思いを馳せるのは、贅沢なひと時となるだろう。

 

櫛かんざし美術館

青梅市柚木町3-764-1
電話番号:0428-77-7051
開館時間:10時-17時
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜)、年末年始、臨時休館あり
入館料:一般600円(500円)、学生500円(400円)、小学生300円(200円)、()内は20名以上の団体料金。
櫛かんざし美術館ホームページ

*この記事は、2017年09月11日に東京都国際交流委員会が運営していたLife in Tokyoに掲載したものです。