多文化クロストーク
外国人をサポートする外国人ー第1回 支援の仕事を始めるまでー
3人のプロフィール
たま(インドネシア出身)
- 在住年数
- 7年
- 母語
- インドネシア語
- 好きな日本語
- 微妙
- 東京で好きな場所
- 渋谷区
- 好きな食べ物
- タコス、馬刺し、ケバブ、サテなど
- 趣味
- サバゲー(サバイバルゲーム)、音楽を聴くこと
- 日本に来た頃の自分に一言かけるなら
- 「私が来た!」
- 仕事内容
- 特定技能・技能実習等の監理団体
ヒエン(ベトナム出身)
- 在住年数
- 11年
- 母語
- ベトナム語
- 好きな日本語
- 千里の道も一歩から
- 東京で好きな場所
- 浅草
- 好きな食べ物
- おにぎり(特に鮭とツナマヨ)
- 趣味
- 色々な人と出会い、その人から学ぶこと
- 日本に来た頃の自分に一言かけるなら
- 「1 年後、5 年後の目標を持ち、今できることから始めよう」
- 仕事内容
- JICE日本語教室の地域コーディネーター
シヴァ(ネパール出身)
- 在住年数
- 20年
- 母語
- ネパール語
- 好きな日本語
- 頑張りましょう
- 東京で好きな場所
- お台場
- 好きな食べ物
- 焼鳥
- 趣味
- ドライブ
- 日本に来た頃の自分に一言かけるなら
- 「頑張るしかないです」
- 仕事内容
- 通訳・人材紹介等による生活支援
第1回 支援の仕事を始めるまで
「外国人をサポートする外国人」の座談会を3回シリーズでお届けします。
日本に来たばかりの頃の思いや経験を活かし、外国人のサポートをする人たちがいます。今回はそれぞれ異なる立場でサポートに携わる3人に話を聞きました。
出身の町と、日本に来たきっかけについて教えてください。
私はネパールの首都、カトマンズ出身です。高校卒業後、ネパールで半年間日本語を学んでから日本に留学しました。
ネパールでは、日本のイメージがとてもいいです。自動車、電化製品も有名ですが、ドラマの「おしん」やアニメも人気です。何か言語を学びたいと思ったとき、真っ先に「日本語」と思いました。
インドネシアのジャワ島のスラバヤ出身です。日本でいうと大阪のような、ジャカルタの次に大きい町です。
昔から冒険が好きで、高校を卒業したら海外に留学したいと思っていました。アニメが好きで、父も日本車が好きだったので、イメージの良さから留学先を日本に決めました。高校卒業の2日後に来日しました。
私はベトナムの北部、ハノイの出身です。
私はお二人とは違い、家族の都合で来日しました。娘が 2歳のとき、夫が日本に興味を持ち、日本に行こうという話になりました。私も今より若かったので、「挑戦するなら今」という気持ちがありました。日本は「地震が多い」というイメージしかありませんでしたが、とにかく新しい環境に行ってみたかったんです。
現在は、どんな仕事をしていますか。
来日後すぐ日本語学校に入学し、それから大学で経営学を学びました。その後新卒で、技能実習や特定技能の受け入れを支援する監理団体に入社しました。現在は 2年目です。
私もたまさんと同じく、大学卒業後、新卒で就職しました。日系の大手旅行会社など旅行業界で約10年間勤務し、昨年、自身の会社を設立しました。旅行手配の仕事のほかに、在住ネパール人の通訳・翻訳支援、人材紹介などの仕事をしています。
私は来日後、地域のボランティア教室やJICEの「仕事のための日本語教室」に通って日本語を学びました。仕事は日本語の上達とともにステップアップしていきました。最初は工場、その後ファストフードチェーンで働きました。日本語能力試験のN3を取った後はホテルのレストランのホール、さらに会話力が上がってからは大手アパレルチェーンに採用されました。今も同じアパレル店で働きながら、日本語を学んだJICEで受講生のサポートをする地域コーディネーターを務めています。
日本語はどのように勉強しましたか。
大学入学前に通った日本語学校で勉強しました。
自分もそうです。海外から直接日本の大学に入学するのは難しいので、私以外の学生でも、まず日本語学校に留学するケースが多いです。
一番長く通っていたのは地域の日本語ボランティア教室です。日本語学校で勉強した人よりも、会話が上手じゃないなと思います。
でも、地域の日本語教室は実用的な日本語を勉強できるというメリットがありますよね。
それはたしかにそうかもしれないです。普通の日常会話が中心なので、安心して勉強できました。
日本語以外はどんな言葉が話せますか。
ベトナム語、中国語、英語です。あと言語ではありませんが、ベトナムでは弁護士資格を持っています。
ネパール語のほかは、英語、そして母語と似ているヒンディー語です。
自分もインドネシア語、ジャワ語のほか、英語、そしてコーランの言語であるアラビア語も読めます。
仕事で使う言語は日本語とインドネシア語が中心ですが、たとえばフィリピンの人に支援が必要な場合は、英語を話すこともあります。
自分も同じですね。英語を使う機会は多いです。
今は通訳・翻訳ツールの性能も上がっていますが、やっぱり自分で話せると便利ですね。対面で同じスピードで話すことができるので。
わかります。相手と直接話せることが大事ですよね。
外国人をサポートする仕事に就いた理由はなんですか。
自分自身の経験がきっかけです。子どものいる家庭の場合、仕事を持っている父親は、仕事などを通して日本語を習得できるので、日本に移り住んでからも、あまり変わらない生活を送るケースが多いです。家事育児をする母親は、病院や学校、役所の手続きなど日常生活で日本語にとても苦労します。私もすごく困った経験があり、気持ちがわかるので、同じような立場のお母さんを助けたいと強く思います。今もJICEで「子どもの入学のための手続きがわからない」などの話を聞くと、電話で通訳をしたり、直接連れていくなど支援のボランティアをすることがあります。
自分が小さい子ども連れで来日したので、子どもを預ける人がいないなどの不安はよくわかります。困っている人たちに対して、一時預かりや育児支援など、使える行政サービスについて情報を知らせていきたいです。
ヒエンさんと同じく、私も自分の経験からの気づきが大きいです。来日したころは、日々言葉の壁を感じていました。日本では3~4年前からネパール人が増えてきて、色々な悩みを聞くようになりました。その悩みの中で今も最も多いのが、言葉の壁です。自分が経験してきたのと同じ問題でした。自分が苦労して言葉を身につけ、日本のことをわかるようになった今だからこそ、みんなの役に立てると感じました。
現在は自分の会社での仕事のほか、杉並区役所でもネパール語の通訳・翻訳の支援をしています。杉並区は都内でもネパール人の人口が多い地域です。自分の経験を生かして、みなさんの架け橋になりたいという気持ちは今も強く持っています。
架け橋になりたいという気持ち、私も同じです。
近年インドネシアからは、技能実習や特定技能などの在留資格で来日する人が多いです。その中で、国にいる家族のことが心配になって、仕事の途中で帰国してしまった友人がいました。帰国してから「仕事を紹介してほしい」と連絡を受けましたが、一度帰国してしまうと難しいです。こんなふうに、情報がないまま判断して、結果的に不利になってしまうケースが多いです。そういう人たちの相談相手になったり、しっかりサポートしたいと思ったことが、支援の仕事に興味を持ったきっかけです。
第1回は、3人が支援の仕事を始めるきっかけについてお話を聞きました。第2回では、お仕事の内容について詳しく話を伺います。
── 次号へ続く