多文化クロストーク

日本での仕事と転職についてー第1回 これまでのキャリア、就職ー

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左からタイ出身のヌンさん、韓国出身のヨンジュさん、パキスタンとペルーにルーツを持つマリアンさん。

3人のプロフィール

ヌン(タイ出身)

在住年数
5年
母語
タイ語
好きな日本語
諸行無常
東京で好きな場所
台東区:上野公園、浅草など
好きな食べ物
タイ北部料理のゲーンハンレー、ゲーンホなど
趣味
料理、サッカーゲーム、ウォーキング
子どものころ
なりたかった職業
刑事(警察官)

ヨンジュ(韓国出身)

在住年数
8年
母語
韓国語
好きな日本語
東京で好きな場所
林試 (りんし) の森公園
好きな食べ物
パン、ピザ
趣味
公園巡り、新しい食べ物のお試し
子どものころ
なりたかった職業
広告やCMのプロデューサー

マリアン(日本出身、パキスタン・ペルールーツ)

在住年数
21年
母語
なし。日本語、英語、スペイン語、ウルドゥー語が混ざった言語
好きな日本語
躊躇
東京で好きな場所
蔵前と高田馬場
好きな食べ物
ポテトフライとホタテ
趣味
フィルム写真撮影、古着・おいしいパン屋の開拓など
子どものころ
なりたかった職業
キャビンアテンダントと獣医師 (じゅういし)

 

第1回 これまでのキャリア、就職について

「日本での仕事と転職について」の座談会を3回シリーズでお届けします。 現在、多くの在住外国人が東京で働き、キャリアを重ねています。今回は都内で働く3人に、キャリアや転職についての話を聞きました。

 

生まれ育った環境、これまでのキャリアについて教えてください。

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他国の文化と言語を学ぶ中で、冒険心が身についたというヨンジュさん。
マリアンさん

私は日本の埼玉で生まれました。母が日系ペルー人、父がパキスタン人です。小学校6年生から高校2年生までは家族と共にパキスタンで過ごし、その後大学進学を機に日本に戻りました。日本で外資の企業に就職し、その後日系企業に転職をして、現在勤めている会社は3社目です。

ヨンジュさん

私は韓国のソウル出身です。中学生のころ、家族でフィリピンのマニラに移住しました。大学進学のために日本に来ました。私も新卒で外資の企業に就職しましたが、その後転職し、現在は2社目です。

ヌンさん

タイ北部ラムプーンの出身です。自分はタイで生まれ育ち、タイで日経企業に就職しました。留学や技能実習などで日本とタイを () () し、2021年から現在の日本の企業に勤めています。製造業を中心に、全部で5社に勤めた経験があります。

日本に来たきっかけを教えてください。

ヌンさん

高校・大学で日本語を勉強していました。大学時代には、奨学金をもらって1年間日本へ留学もしました。大学卒業後、タイで日系企業の工場に勤めましたが、そのとき自分の日本語が仕事で通用しないことにショックを受けました。語学スキルを身につけるために、技能実習生として改めて日本に行くことを決めたのが、日本でのキャリアの始まりです。

ヨンジュさん

私は韓国で生まれ育ち、その後マニラの高校に通いましたが、進路を考える中で、「韓国と近くて違う文化に身を置きたい」と思うようになりました。フィリピンで生活する中で、外国と自国の文化の違いがとても面白いと感じたんです。同じアジアの中でも、韓国の文化を外から捉えたことで、さらに異文化への興味が湧き、日本への留学を決めました。

マリアンさん

私は日本で生まれましたが、小学生のころは家庭の中と外での文化の違いもあり、周りに馴染むのが難しかったです。そうした背景から、6年生からパキスタンに移住しました。その後自分の学びたいことや環境を考え、大学進学を機に日本に戻りました。

大学では、何を勉強しましたか。

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製造業や旅行業など、さまざまな業界でキャリアを重ねてきたヌンさん。
マリアンさん

中高生のころ、先端生命科学に強い関心がありました。自分の見た目が周りの人と違うと言われた経験、そして世界中で起こる文化の違いによる紛争について知ったことから、「なぜ人間は違うのか」と考え、DNAに興味を持つようになったんです。学びたかったDNAのゲノム編集の研究が日本で進んでいると聞き、日本の大学に進学しました。

ヨンジュさん

国際地域学を学んでいました。具体的には、まちづくりや地域に関わることです。 フィリピンに移住した (とし) に、大型台風による災害がありました。私の住む地域は無事でしたが、自分にはまだ () () れない言語のニュースを通じて、フィリピン国内で多くの人が苦しむ様子を知りました。人がコミュニティを立て直す強さも目の当たりにして、自分にも何かできないかと感じました。日本では自然災害からの復興に関する知見もあると聞き、日本で勉強したいと思いました。

ヌンさん

二人とも、素晴らしい問題意識ですね。
自分が日本に興味を持ったのは、高校生のころの日本ブームがきっかけです。ドラマやJ-POPが流行り、あらゆる日本のものが売られていました。英語をはじめとした欧米の言語はアルファベットを共通の文字として使っていますが、日本語や中国語は文字が異なります。それをユニークで面白いと思い、また将来的に日本語ができると強みになると感じて日本語を勉強し始めました。

大学を卒業後、どんな企業に就職しましたか。なぜその会社を選びましたか。

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子どものころ抱いた問題意識から、DNAに興味を持ったマリアンさん。
マリアンさん

最初は、自分のルーツに関係のない国で働きたいと思っていました。1年間スペインに留学したんですが、すごく解放的で暮らしやすかったので。ただ、とある写真の展示会で、ユダヤ系の写真家の方が「自分のルーツを出さないほうが簡単。でも伝えることで次につながる」と言っていて、その話で認識が変わりました。自分が日本で働き続けることが、誰かを動かすきっかけになればと思ったんです。
そこから日本で就職先を探し、外資系のITコンサルに就職を決めました。学生時代に外国ルーツの子どもに関わるインターンもしていましたが、自分の引き出しの少なさを感じていました。スキルを広げる上でも、IT技術やマネジメントの経験は意義があると考えました。

ヨンジュさん

私も外資系のIT企業に就職しました。私は韓国、フィリピン、日本と三つの環境を渡り歩いて、文化や言語を学ぶことに喜びを感じてきました。一方で、日本でもコミュニティの一員というよりは、よそからの人、外国人として捉えられている感覚がありました。自分が力を発揮してどんな貢献ができるか考えたときに、プログラミングに出会いました。プログラミングも、広く言えば言語のひとつです。自分が言語を習得してきたスキルをプログラミング言語の習得に活かすことで、コミュニティの一員として活躍できるのではと思いました。

ヌンさん

最初に就職したのは、タイの実家近くにある日系の工場です。タイ人と日本人労働者の通訳のような役割でした。安定感から選んだ企業でしたが、就職してすぐに自分の日本語力の限界を感じました。日本人の話す言葉のなまりが () () れず、製造系の専門用語もわからなかったんです。家中 (いえじゅう) のあらゆる壁に仕事で使う言葉を貼って、日本語の勉強を続けました。次第にもっと日本語を勉強したいと思うようになり、その後3年ほどで技能実習生として日本の工場で働き始めました。

就職活動はどのように進めましたか。

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異なる職業観に終始「面白い!」と話が弾みました。
ヌンさん

自分はお二人と世代が少し違うので、ウェブ経由での応募手段がありませんでした。まず、バイクで就職先候補の工場や会社を回りました。工場の場合だと、当時は建物前に黒板があり、募集情報が貼られていました。応募者はその場で申込用紙を書き、卒業証書を提出します。そして連絡があったら面接する、という流れです。僕は受けた3~4社、すべて採用になりました。

マリアンさん

たしかに、今と進め方が違いますね。
私はバイリンガル向けの就職情報サイトに登録していました。そこでスカウトの連絡があると、企業とやりとりをしながら、CV(※英語版の履歴書)を提出して、オンラインで面接が進む方法でした。

ヨンジュさん

私も同じです。サイトから登録して、オンラインで面接を受けました。

ヌンさん

本当に、昔と全然違いますね( (わらい) )。

ヨンジュさん

受けた会社の数は、私もヌンさんと同じで3~4社でした。就職に関して迷いがあって、動き出しは4年生の夏ごろでした。友達は3年生から動いていましたね。

マリアンさん

受けたのは私も2社くらいです。当時会社員として働くイメージがうまく描けなかったんです。どこも受からなかったらバリスタになろうと思っていました( (わらい) )。

 

第1回は、これまでの経歴とキャリアの始まりについて話を伺いました。第2回では、それぞれの転職経験についてお話しいただきます。

 

── 次号へ続く