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NPO法人 YouMe Nepal ~ネパールの子どもたちが貧しくても質の高い教育を受けるために。故郷に建てた学校から始まった教育改革~

ネパールでの学校運営やオンライン教育を行っているNPO法人「YouMe Nepal(ユメ ネパール)」。ネパール出身のシャラド・ライさんが、「母国の子どもたちの未来を切り拓きたい」「育ててくれた母国に恩返しをしたい」という想いから設立した団体です。ネパールで2校の学校を運営するほか、オンライン教育や、国際交流に取り組んでいます。団体設立や学校運営への想いをシャラド・ライさんに伺いました。
国費で教育を受けられる特待生に選ばれたことで、運命が変わった

写真提供:YouMe Nepal
ライさんが生まれたのはネパールの首都カトマンズから遠く離れた山間部にあるコタン郡ドルシム村。村には4〜5年前まで電気やガスがなく、毎朝1時間半から3時間かけて水を汲みに行っていました。山の上にある小学校には片道1時間半かけて通っていたと言います。そんなライさんに転機が訪れたのは、10歳の時です。イギリス政府の支援により1972年にカトマンズに設立された名門ブダニールカンタ学校で、学費を全額免除される特待生に選ばれたのです。
「特待生に選ばれた瞬間から、奇跡的に人生が変わりました。全寮制で、制服や食べ物も国から提供され、質の高い教育を受けることができました」と、ライさん。高校卒業後は奨学金で日本の大学に留学、日本で就職し働き始めました。
「いつか国に恩返しがしたい」と考えていたライさんですが、どのようにできるかはその頃まだあまりピンと来ていなかったそうです。そんなある日、故郷の村の友人たちとFacebookで繋がりました。村の友人たちの多くは、中学も卒業できず、中東やマレーシアに出稼ぎに行っていました。出稼ぎでは、低賃金で過酷な肉体労働を強いられ、命を落とす人もいるといいます。
「自分と彼らの違いは、質の高い教育を受けるチャンスがあったかどうかです。みんなにそのチャンスがあれば、全然違う人生を送っていたはず、そんな風に感じました。公立学校の教育水準が上がらないと、これからも同じことの繰り返しだと考えたんです」。そうしてライさんは、故郷に学校を設立することを決意しました。
“自ら考える力”を育て、生徒一人ひとりが自分の人生を切り拓けるように

写真提供:YouMe Nepal
「子どもたちに良い学校を作ってあげることで、国に恩返しをしたい。誰もが通える夢のような学校を作りたい」、そんなライさんの強い想いで、2011年、1校目の「YouMe School」コタン校が開校されました。トタン屋根と竹でできた、寺子屋のような小さな校舎に先生1名と生徒8名からのスタートでした。「YouMe School」という名前には、子どもたちの「夢」を叶えたいという想いと、「あなた(you)と私(me)」の意味が込められています。
「ネパールの公立学校は読み書きを教えるだけで、“自ら考える力”を養うようなプログラムがありません。そのため、学校を出ても収入の高い職業に就くことが難しいと考えました。私たちの学校では言われたことをやるのではなく、“自ら考える力”を中心に子どもたちを育てたいと考えています」と、ライさん。
学校では英語で授業が行われ、IT教育にも力を入れています。卒業後にエンジニアとして働くことができれば、出稼ぎで肉体労働をするよりもはるかに高い収入を得ることができます。
村の人たちは最初、ライさんの挑戦に半信半疑だったといいますが、ライさんが想いを伝え続けたことで徐々に生徒が増え、2015年にはコンクリートの校舎に建て替えることができました。そして、2017年には2校目となる「YouMe School」ビラトナガル校を開校、その他にもオンラインスクールなどでたくさんの子どもたちに教育を届けています。
「私たちの学校に通う生徒の8割はミドルクラスよりも下の家庭の子どもたちです。子どもの時の自分と同じように夢を持ちながらも諦めてしまっている子どもたちのために作った学校ですから」と、ライさん。
時間を守ること、約束を守ること。日本の教育現場を参考に

写真提供:YouMe Nepal
「YouMe School」では、衛生教育にも力を入れています。
「私たちの学校に通う多くの子どもたちの家に水道がないので、顔の洗い方や歯の磨き方を知らない子もいます。家庭で教えるような生活の知識も、学校でしっかり教えています。先日も7歳の子が家でコブラに咬まれて、きちんとした病院に診てもらえずに亡くなりました。命を守るためにも、知識を持つ人を増やしたいです」と、ライさん。
また、学校のプログラムは日本の教育からたくさんのヒントを得ているといいます。
「大学卒業後に福岡の小中学校で英語教師をしていたんですが、生徒が自分たちで校舎を掃除することや、時間や約束を守ることなど、ネパールでは当たり前ではないことが多くありました。もしネパールでも時間や約束をしっかり守る文化ができれば、彼らが大きくなった時、さらに良い国になると思います。ネパールの未来のためにも、取り入れるべき内容だと思いました」と、ライさん。
さらに日本との国際交流も行っています。日本の小中学校とのオンライン交流や、日本の大学生のネパール滞在を通して、子どもたちが日本の文化に触れる機会を作っています。「今後は日本語のカリキュラムも作る予定です。英語とコーディングの知識に加えて、日本語を習得することができれば、日本での活躍の機会が広がります」と、ライさん。
資金が尽きて学校閉鎖に…諦めずに切り拓いた再開への道

これまでで大変だったことを聞くと、「間違いなく、学校の運営です」と、ライさん。
「開校してしばらくは、ずっと赤字でした。そこまでしないと本当に届けたい子たちに教育を提供できないと、赤字覚悟で学校を作りました」。
当初は給料や友だちから集めた寄付をネパールに送って学校を運営していましたが、博士号取得のために大学に戻ると収入がなくなり、経営がさらに厳しくなりました。当時はコロナ禍で、行動を制限されていたこともあり、ビラトナガル校を閉める決断を迫られることに。
「学校には、300人の子どもたちが通っていました。閉校を告げると、 “学校から離れたくない”と子どもたちが泣き出して、引き裂かれそうな想いになりました。本当に苦しい決断でした」と、ライさんは振り返ります。
しかしその後すぐ、ライさんにチャンスが巡ってきました。日本のIT企業で働く友人から「アジアでエンジニアを探しているので、ネパールにも良い企業があったら教えてほしい」と頼まれたライさんは、自身で会社を作ることを思いつきます。「自分がネパールのエンジニアを集めて会社を作れば、学校を運営する資金を作れるかもしれない」、そう考えて起業を決意したそうです。会社は数ヶ月で利益をあげ、閉校からわずか4カ月後に学校を再開し、子どもたちにも戻ってきてもらうことができました。「起業なんてしたことがなかったのに、こんなにすぐ結果が出て運命を感じました。神様がくれたチャンスだと思いました」と、ライさんは語ります。
ダイヤの原石を見つける「サムライブートキャンプ」

写真提供:YouMe Nepal
「YouMe School」には現在、保育園から高校1年生までの約1,000名の生徒が通っています。そして、2028年までには高校2~3年と大学までのカリキュラムを用意する予定です。「大学まで卒業できれば、社会に大きく貢献できるようになり、貧困からも抜け出せます。誰もが保育園から大学まで、最高の教育にアクセスできる環境を作っていきたいです」と、ライさん。
さらに最近、8ヶ月で集中的に日本語やコーディング、ビジネススキルを学ぶビジネススクール「サムライブートキャンプ」を開始しました。2200名の応募者から20名が選び抜かれ、スキルを身につけて日本企業での就職を目指します。「貧しい若者たちの中にも、IQが高く、優秀な“ダイヤの原石”がいるはずです。僕たちがそういう子を見つけ、磨くことができたら、日本の人材不足の問題にも貢献できると考えています」と、ライさん。
「YouMe Nepal」の活動は日本でも多くの人々や企業の共感を呼び、さまざまな支援を得ています。ライさんのまっすぐな想いと誠実さ、勉強熱心な姿勢、そして行動力が、周囲を変えていくのでしょう。生まれた環境に関わらず、子どもたちが自由に学んで人生を切り拓いていける社会を目指して、「YouMe Nepal」の挑戦は続きます。