クローズアップ

特定非営利活動法人 日本ペルー共生協会(AJAPE) ~個人のアイデンティティを大切に守りながら、多文化共生を実践する~

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左から、特定非営利活動法人 日本ペルー共生協会 副会長の高橋悦子さんと、会長の小波津ホセさん。

ペルーをはじめラテンアメリカ出身者や彼らの子どもたちがアイデンティティを守りながら日本での生活に適応し共生していくための支援を行っているのが特定非営利活動法人 日本ペルー共生協会(以下、アハペ⦅AJAPE⦆)です。ペルーの公用語であるスペイン語による相談や情報提供、母語や文化の継承教室等、団体の設立から20年以上が過ぎ、ますます活動の幅を広げています。三代目会長の小波津ホセさんと、副会長の高橋悦子さんにお話を伺いました。

 

日本における多文化共生意識の萌芽のきっかけとなった、
1990年の入管法改正

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2021年から会長を務める小波津ホセさん。自身もペルーにルーツを持つ当事者として、団体を牽引します。

南半球に位置し、世界遺産のマチュピチュやナスカの地上絵などで知られる国、ペルー。今年2023年に日本との外交関係樹立150周年を迎えるこの国から、現在約48,500人が日本に移り住んでいます(2022年6月末時点、出入国在留管理庁調べ)。1990年に入管法が改正、91年に施行されたことで、日系人及びその家族が「定住者」として一定期間日本に在留することが法的に認められ、ペルーやブラジルなどから多くの日系人が働きに来ました。 「特別な仕事で日本に暮らす外国人ではなく、隣近所にも外国人が住むようになりました。日本社会が最初に多文化共生の意識を持ったのは、この入管法改正がきっかけだと思います。それまでは共生という意識はなかった」と高橋さん。 在住日系人が困っているという声から、94年に在日ペルー領事館の声掛けでアハペの前身となる活動グループが結成、99年にアハペが設立され、2005年に特定非営利活動法人になりました。「共生」を目指す組織だからこそ、日本人とペルー人が半々になるようにしたいと考えているといいます。「アハペの最大の特徴は、スペイン語で対応できること。そして、ペルー文化をよくわかっているところです」とお二人 (ふたり) は話します。

 

世代を超えて共に団体を支える二人 (ふたり)

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「わたし自身がお仕着せの勉強は嫌だったので、子どもたちの勉強が嫌いという気持ちがわかります。自分が気づいて学ぼうと思ったときに勉強すればいい」と、高橋さん。

会長の小波津さんは8歳の時に初来日し、高校卒業までを福岡県の北九州市で過ごします。東京の専門学校を卒業後、将来スペイン語を使って仕事がしたいという思いで単身ペルーへ帰国し、6年間を過ごします。再来日後、大学院で修士号、博士号を取得し、現在は企業の青果物貿易営業部長として海外にも多く出張しているそうです。在学中にペルー人についての研究をしていたことからアハペの活動にも参加するようになり、2021年に前会長がペルーに帰国するタイミングで会長に就任しました。 1999年のアハペ設立の翌年から活動に携わっているという副会長の高橋さんの経歴はとてもユニークです。 「わたしは高校のとき進学校にいたんですが、受験勉強が合わなくて親の勧めでペルーにいる叔父の所へ行ったんです。何もわからないからスペイン語学校へ通い、多文化共生や勉強の楽しさを実感しました」1年半のペルー滞在後、日本に戻り大学のイスパニア文学専攻に入り、スペイン語の教員免許を取得。その後結婚して子育てが終わるころに入管法改正があり、そこから南米系の人たちの手伝いを始めますが、最初は何をしていいかわからず手探りだったそうです。50歳のときには大学院で異文化間教育をテーマに修士を取るなど研鑽を積んだことで、支援の質も変わったといいます。「研究者ではなく実践で社会貢献しようと思ったので、実践活動でずっとやってきました」。

 

個人のアイデンティティや親子のコミュニケーションにかかわる、
言語や文化の継承

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「昨年は体を動かしながらスペイン語を使うことを目的に、バレーボールやバドミントンなどのスポーツやダンスなどもした」という小波津さん。

近年外国にルーツを持つ子どもたちが増えていますが、「自分はみんなと違う」「自分は“何人 (なにじん) ”なのか」と自身のルーツやアイデンティティに混乱や葛藤を感じる子どもも少なくないといわれます。アハペでは、親の持つ言語や文化を子どもたちに継承することの大切さを伝えています。「『日本語がうまくなるように家でも日本語で話してください』という学校の先生も多いです。しかし、親が持っている言葉は、言葉だけあるわけではなく、そこには文化も習慣もすべて入っており、それらは個人のルーツやアイデンティティに大きくかかわります。学ぶかどうかの選択は個人の権利だと思うので強制はしていませんが、言語や文化を子どもに伝えながらコミュニケーションしないと、子どもが成長したときに親子の関わりが難しくなります」と高橋さんは話します。言語や文化継承の大切さは、言わなければ保護者も理解していないことが多く、教育相談の際、通訳を通さないと親子の会話が成り立たたないケースもあるそうです。 会長の小波津さんも、ペルーにルーツを持ちながら日本で育った当事者として次のように話します。「わたしは8歳で日本に来ましたが、子どもは生活言語を覚えるのが早いので、日本語に関しては親をすぐに追い越します。それで親と不仲になったり、日本語ができるゆえに自分を日本人と思ったり、スペイン語を忘れて親と深い話ができなくなることも。進路について説明しても親はわかってくれないとか、こうした問題はわたしの場合もありました」。

 

子どもたちのルーツを大切にしていきたい

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ペルー出身者が先生の継承スペイン語教室。レベル別に3クラスに分かれています。生徒はペルー出身者だけでなく、ボリビア出身者や日本人もいます。

アハペでは現在、町田市と神奈川県の大和市で、学習支援や継承語(スペイン語)教室、文化継承(ダンスなどのペルー文化)教室などを開催しています。「子どもが家でスペイン語の単語を使ってくれた」など、自分のルーツの言語や文化を子どもが継承してくれることを保護者たちもとても喜んでいるそうです。子どもたちにとっても、スペイン語検定に合格すると、それが大きな自信や自己肯定感へとつながるといいます。 教室で年の差関係なく仲良く一緒に遊ぶ子どもたちを見つめながら「ここでのつながりも一つのきっかけになると思うんです。子どもたちも、遊んだり、体を動かしたりしながら、自分と同じルーツの友だちや先輩と出会うことで安心感にもつながっていると思います」と小波津さんは話します。日本在住のペルー人人口は2008年に約6万人とピークに達しましたが、その後は帰国や帰化等で減少を続け、現在は約48,500人となっています(2022年6月末時点、出入国在留管理庁調べ)。 「総人口からみても、在日日系ペルー人はマイノリティの中のマイノリティですが、そういう子どもたちのルーツを大事にしていかなければいけないと思っています。活動を通してみんなで何かできたら、と常に考えています」と小波津さん。

 

何人 (なにじん) ”ではなく“自分”で生きていけることこそが、
  多文化共生で目指すべき状態

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ペルー出身者が先生の継承スペイン語教室。レベル別に3クラスに分かれています。生徒はペルー出身者だけでなく、ボリビア出身者や日本人もいます。

入管法改正から30年以上が過ぎ、日系ペルー人は出稼ぎから定住へ、そして永住または帰化へと姿を変えてきました。「スペイン語を勉強したい」「ペルーで自分のルーツ探しとして親戚に会いたい」など小波津さんのようにペルーへ行ったり日本に戻ったりと往還する人も増えているそうです。「新しい世代の人は自分のスキルアップをしながら、ペルーと日本の両方のいいところを身につけようとしているのだと思います。そういう人が増えたら、“何人 (なにじん) ”というということではなくて、“自分”として生きていくことができます。それこそが多文化共生で目指すべき状態なのではないでしょうか」と、高橋さん。

アハペの今後の目標については「無事に30周年を迎えることがひとつの目標です。いろいろな人を巻き込みながらやっていきたいと思います。これからは上の世代の高齢化の問題なども出てくるので、団体として対応を考える時期が来ると思います。そのためにも下の世代を育てながら時間をかけて考えていきたいです」と小波津さん。 一人ひとりが自分のルーツやアイデンティティを大切にしながら生きられる、多様性という可能性に溢れた多文化共生社会の実現に向けて、アハペは活動を続けます。

*本記事は取材時点での情報をもとに作成しています。最新の情報については、団体へ直接お問い合わせください。