ニュースレターれすぱす

2022年1月号

L'ESPACE(れすぱす)は、場所・空間・宇宙・間隔と、多岐にわたる意味をそなえたフランス語です。

クローズアップ

外国人支援・国際交流・多文化共生に関わる団体や人を取材し、活動や取り組みを紹介しています。

江戸川インド人会

~ フロンティア精神から生まれた、インド人のためのボランティア団体 ~

公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
「在日インド人の父」とも称されるジャグモハン S. チャンドラニさん(中央)と、経営するインド紅茶専門店のスタッフのお二人。

東西線に乗って荒川を渡ると、最初の駅が「西葛西(江戸川区)」です。インド出身者が多く住むエリアとして、すっかり有名になりました。東京に住むインド出身者は13,236人(2021年7月現在)、そのうち5,170人が西葛西のある江戸川区に暮らしています。なぜ、このエリアにインド人コミュニティができたのでしょうか。「江戸川インド人会」会長のジャグモハン S. チャンドラニさんにお話をうかがいました。

紅茶の倉庫を確保するため西葛西へ。それは、まだ駅ができる前のこと

公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
インドの紅茶を扱う貿易商のチャンドラニさんは、1979年に倉庫群ができたばかりの西葛西へ引っ越ししてきました。

チャンドラニさんは1978年、ビジネスを始めるために来日しました。日本で紅茶といえばイギリスというのが一般的だった当時、インド紅茶を広めていきます。ビジネスを始めるため、紅茶を保管する倉庫が必要になりました。さまざまな場所を検討したところ、江戸川区の湾岸地帯に新しい物流センター(倉庫団地とトラックターミナル等)があることを知ります。79年に西葛西へと引っ越しをします。そして、西葛西駅も同じ年に完成しました。それから20年近くの際月が流れる90年代後半まで、インド出身の人たちは4世帯ほどだったそうです。

2000年問題でインドからIT技術者が来日

公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
白いひげが特徴のチャンドラニさん。「わが家は代々、長男はひげを伸ばして一度も剃ってはならないという家訓がありました。母はあなた次第と言いましたが、私は一度もハサミを入れたことがありません」

「1997年~98年ごろに、西葛西でインド出身らしい人たちを次々と見かけるようになりました。聞いてみると皆さんITの技術者で、コンピュータの2000年問題で日本に働きに来た人たちでした」。世紀をまたぐとコンピュータが誤作動する可能性があると言われ、その対応のためにIT大国として知られつつあったインドから技術者がたくさん派遣されてきたのです。「彼らが働いていたのは官公庁や大手企業、保険会社や銀行などでした。近くのホテルに住み、町の食堂で食事をしていました。その中で大手町、茅場町など東西線沿線に勤めていた人達が、通勤に便利な西葛西駅周辺のマンションの部屋を借り上げてもらい住み始めていました」。西葛西駅周辺にはマンションや大規模な団地などの集合住宅が多くあったので、何百人単位で来日した技術者の住まいを確保するのに最適だったのです。

1998年に「江戸川インド人会」が誕生

公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
インド人技術者のための食堂としてスタートしましたが、現在はレストランとして地域の人に人気のお店になりました。

彼らは単身で、ベジタリアンが多く、町のレストランでは満足のいく食事をとることが難しかったのです。そのため部屋を借りて自炊しようと考えました。チャンドラニさんは彼らを助けたいという思いで『江戸川インド人会』を結成し、不動産業者と交渉するなど尽力します。しかし、最後に問題になったのは賃貸契約での「保証人」です。「かなり悩んで私が保証人になりました」と話すチャンドラニさんのおかげで、彼らは西葛西に根を下ろすことができました。
次は料理です。「インドの男性は結婚前はお母さんが、結婚後は奥さんが食事を作るので、自分たちで料理をほとんどしません。日本でしかたなく作ってみたけれど食べられるものではない。そこでインドからコックさんを連れてきて、食堂を作りました。毎日献立が変わる賄いのようなものです」と、チャンドラニさん。この小さな食堂は、毎晩とても賑わったそうです。
チャンドラニさんに『江戸川インド人会』についてお聞きしました。「江戸川でできたから『江戸川インド人会』です。私たちは完全にボランティア団体です。インド人なら誰でも自由にメンバーになれますし、お金もかかりません。連絡はインターネットで取り合います。世界中どこにいようと制限はありません。気持ちがつながっていればOKです」

生活に必要なものは、ひとつひとつ用意する。

益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
紅茶に合う食器や伝統の器なども飾られています。

インドから単身で来ていた技術者たちも日本での生活が長くなると、奥さんたちを呼び寄せます。今度はわざわざ食堂に行くのではなく、奥さんが料理を作ればいいのですが、スパイスをはじめとする材料を売っているところがありません。そこでチャンドラニさんはグローサリーショップを作ります。さらに、子どもたちのための学校が必要になったら、今度はインド人学校を作りました。「困っていたから作る。シンプルな話です。また、ここで生活しているならお祭りぐらいはしないと寂しいでしょう」というチャンドラニさんは、インドの秋の収穫祭を再現した『東京ディワリフェスタ西葛西』を始めます。当初の参加者は40人ほどでしたが、3年後には300人くらいになりました。以来、20年以上続くこのお祭りは、1万人近くが訪れるまでに大きくなり、日本とインドの人々が交流する大切なお祭りになりました。
今では近くの一部スーパーに、インドの野菜が並びます。インド人学校は幼稚園から高校まで1,200人の生徒が学ぶまでに成長しました。その3割ほどは日本の子どもたちだそうです。「グローサリーも学校も手放しました。私たちとしたらヘルプのためにしたことで商売ではないから、専門の方たちにおまかせすればいいんです」と、チャンドラニさんは笑顔で話します。

西葛西の子どもたちはコスモポリタン

チェコセンター東京
チャンドラニさんの紅茶ショップは、次から次へとお客様が訪れます。

「今後ますますインド出身者は増えていくでしょう。新しく日本に来た人たちは、江戸川インド人会があることで安心すると思います。国でやっていたことをここでもしたい、というニーズはあると思います。コミュニティができていくうえでは、まだまだ構築しなければならないことがたくさんあります。同時に、日本の文化に触れる機会があればいいと思います。せっかく日本に来たのに、母国と同じように暮らしたいというだけでは寂しいです。少しでも日本の文化を持ち帰ってほしいです」と、チャンドラニさん。
「日本の国際化はある程度進んでいると思います。国際化は英語ではインターナショナルで、『国と国の間の』という意味です。西葛西はインターナショナルというより、コスモポリタンな町であってほしいと思います。ルーツがそれぞれ違っても、ここに住んでいるんだったらみんな同じ西葛西の人間だということです」
お祭りでインドの踊りが始まると、子どもたちはいつの間にかマネをして踊りだします。道で外国人に会っても「こんにちは」とあいさつをします。「子どもたちはすでにコスモポリタンですよ」とチャンドラニさんは笑います。こうした子どもたちが育っていくことで、西葛西はさまざまなルーツを持つ人が過ごしやすい町になっていきます。